・始まりは主人公のモノローグから
 
 天高く馬肥ゆる秋。
 と言っても、ただの女子大生である私、木(きの)下(した)静(しずか)の日常は春や夏、もちろん冬とも変わらない。
 平日は朝から大学に行って授業をほどほどに聞き、その後はコンビニでアルバイト。
 休日は朝からダラダラとベッドの上かパソコンの前でダラダラし、場合によってはコンビニでアルバイト。今日はないけど。
 大学に入ってからというもの、私は同じような日々をただひたすらに繰り返している。でも、だからといって危機感のようなものはない。話を聞く限り、友人の多くも同じような日々を過ごしているらしいし。
 何より、今現在のように、自分の部屋で、ヘッドホンをつけてパソコンの前に座ってダラダラと過ごすことが私は好きなのだ。共感出来る人、結構いるでしょ?
 もし、私の日常に他の人と違う部分があるとすれば、ラジオを聞くことくらいかもしれない。
「今日はどんな感じなんだろう」
 スマホの画面に表示された時刻を見つめながら、ワクワクを声に漏らす。あと一分ほどで、一週間で一番好きな時間が始まるのだ。私の元気の源である番組が。この時間の為に変わらない日常を送っているとも言えるし、この時間のおかげで変わらない日常を乗り切れているとも言える、特別な番組が。
 似たような趣味の人ばかりTwitterでフォローしているせいか、私のタイムラインは『声(せい)春(しゅん)ラジオ待機!』の声で埋め尽くされていく。もしかしたら、みんなも同じようにこの番組から元気をもらっているのだろうか。自分の好きな時間を大勢の人と共有していると考えると、何だかとても素敵なことに思えた。
 さぁ、私の大好きな時間が始まる。

・秋の声春ラジオ!?①

『あっつ……』

 その日の声春ラジオは姉御こと、己(い)己(え)己(し)己(き)己(き)己(な)己(こ)さんの気怠げ、というか気怠さそのものな声で始まった。

『……? 己(き)己(な)己(こ)さん? もう始まっていますが?』
『……そりゃ始まってるだろうなぁ……始まってるというよりむしろ残暑なんだよなぁ……』
『……何を言っているんです? 気候の話ではなく、収録の話ですよ』

 溶けきった姉御とは違い、ラジオの相方を務める若手声優、咏(うた)ノ(の)原(はら)清(きよ)恵(え)さんの声はいつも通り無機質で冷たく無味無臭。姉御の言う通り、九月も終わりかけているというのに、まだまだ暑い日が続いているものの、咏ノ原さんの声は相変わらずの涼しさだった。

『収録……? え、何、もう始まってんの……?』
『ダメですよ? ラジオは声だけしか届けることが出来ないので、全力でやらなくてはならない。以前、自分で仰っていたじゃないですか』
『言ってたっけ……?』
『言ってました』
『余計なこと言うなよ過去のあたし……。……でも、そんなこと言ったらさ、清恵はどうなのさ?』
『失礼な質問ですね。私はどんな仕事でも全力で取り組んでいるつもりです』
『ほんとかよ……』
『勿論、全力の上限はギャラによって可変しますが』
『若手にあるまじき言葉だな、おい』

 まだキャリア二年目とは思えない発言に姉御が苦言を呈すものの、咏ノ原さんの素直さは相変わらずだなぁとしみじみ。この人は本当に素直過ぎる。

『ま、地獄の沙汰も金次第か……。今日の地獄はかなりしんどいけど……』
『地獄なんです?』
『そりゃそうだろ。三十超えてんだぞ? 十月を前にして』
『己己己さんのお歳がですか?』
『そうそうそう。三十超えると朝起きるのも怠くてしんどいんだわ……って、違うわ!』
『違うんです? でも、かなり寝起きは悪い方だと思いますよ?』
『いや、確かにそれは事実だよ? 最近胃もたれも気になってきたし……だけど、今はあたしの年齢関係ないだろ。温度だよ、温度。外の温度』
『三十度もあるんですか。確かにそれは大変ですね』
『だろ? ……何か他人事なのが引っかかるけど』

 季節外れの夏バテを感じさせる姉御に対し、体温すら感じさせないほど淡々とした咏ノ原さん。まぁ、この人の発言が他人事っぽいのもいつものことだけど。自分のことですら他人事のように話す人だし。というか、この話の流れで三十って言われて、年齢のことだと思うなんて……。やっぱり二人は噛み合っているようで絶妙に噛み合わない。

『外は暑いかもしれませんが、このスタジオは冷房が効いていますから』
『そうだけどさぁ……。けど、帰ること考えたら怠くない?』
『涼しくなるまで、ここで涼んでいけばいいじゃないですか』
『あー、そっか。それもありか……清恵は?』
『私は帰ります』
『えー? 何、仕事あんの?』
『いえ、今日はこれで最後です』
『じゃあ、いーじゃん。一緒に残ろうよ』
『嫌です。学校の課題があるので』
『課題……?』
『はい。私は収録の関係であまり授業に出ることが出来ないので』

 学校の課題。
 咏ノ原さんの冷めた発言で、自分にも大学の課題があることを思い出して憂鬱になると同時に、そういえば咏ノ原さんはまだ高校生であることを思い出す。年齢を感じさせない態度でついつい忘れそうになるけど、この人はまだ十六歳の女子高生なのだ。

『課題か。……あ、今持ってきてる?』
『はい。鞄の中に』
『そっかそっか。なら、あたしがここで教えてやるよ。な? だったら残ってもいいだろ?』
『己己己さん……』

 露骨なほどに咏ノ原さんのことを引き留める。サバサバとした大人の女性という印象もあるが、何だかんだで姉御は寂しがり屋であり、それがまた魅力でもあった。まぁ、姉御本人は、寂しがり屋じゃないと否定しそう。そんな素直じゃないところもまた魅力的なんだけど。

『な、何だよその目は。必死で悪いかよ。しょうがないじゃん、一人で残るなんて暇過ぎるしさ』
『いえ。そういうわけではなく。己己己さんにも、人に教えられることがあるんだなぁと』
『この野郎……』

 残ってもらいたいので怒りきれない姉御。姉御が勉強苦手なことは事実だといえ、芸歴の圧倒的に長い先輩に向かって、オブラートに包むことなく言ってしまえる咏ノ原さんは、本当に素直な人だ。

『己己己さんが何を教えられるかはさておき。収録後の話をする前に、ちゃんとやるべきことがあります』
『やるべきこと……? 大丈夫、わかってるって。こっからはちゃんと気合い入れて収録するって』
『そうではありません。あれですよ、あれ』
『あれ?』
『タイトルコールです』
『あー……そういえばそうだっけ。んじゃ、行くよ? 清恵』
『了解です』

 咏ノ原さんの返事。直後に聞こえた姉御の咳払い。それこそが合図であり、弛緩した空気が一瞬にして引き締まる。
 
『わたしと!』

 姉御の声に、

『あなたの?』

 咏ノ原さんの声が続き、

『声春ラジオ!?』『声春ラジオ!?』

 これまでの噛み合わなさどこに行ったのか、二人の声がぴったりと重なる。
 こうして、私の大好きな時間が始まった。