前回分にはこちらから。
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?3』②
・裏名義①
『己己己さん』
『んー?』
『裏名義って何ですか?』
『ブッ!?』
ある日の声春ラジオは、現役女子高生声優である咏ノ原清恵さんの口から出てきてはならない単語と、私が敬愛する姉御の吹き出し声で始まった。おそらく飲んでいた液体が変なところに入ってしまったのだろう。私もびっくりし過ぎて机の脚を蹴っちゃったし。
『……? 大丈夫です? 急にむせこんだりして』
『あんたねぇ……。ちょっとぶっ込み過ぎだろ、流石に」
『特(ぶっ)攻(こみ)……?』
淡々とした冷たく抑揚のない声。姉御をむせ込ませた張本人は今頃不思議そうに小首を傾げていることだろう。おさげ髪が静かに揺れる姿まで想像出来る。このラジオ、生じゃないけど。
『……言っとくけど、アイドル声優が裏名義について触れるなんてそうそうないからね?』
『それはどうしてなのでしょうか?』
『どうしてって、そりゃあ……。……これ、大丈夫? あとで社長とか偉い人に怒られない?』『大丈夫ですよ。私、可愛がっていただいていますから』
『怒られるのはあたしだっつうの!』
裏名義とは声優さんが十八禁のいわゆるエッチなゲームに出演するときに使ったりするものだ。若手らしからぬ言動で忘れてしまいがちになるけど、咏ノ原さんは一応まだ高校生。危険なくらいある意味ピュアで、性の匂いを全くと言っていいほど感じさせない彼女に、いい大人である姉御が公共の電波を使って吹き込んだとしたら。……今頃姉御は録音ブースの外にいるマネージャーさんの様子を伺いながら、頭を抱えているに違いない。
『……ったく、大体、何で裏名義の話題になるんだよ?』
『この間尋ねられたんです』
『何て? 誰に?』
『咏ノ原は裏名義ないのかって。担任の先生に』
『え? ……え、ちょっと待って。……女の先生?』
『いえ。佐々木先生は男の方です』
『完全にただのセクハラじゃねぇか!?』
担任が男だと知り、姉御が驚き混じりに声を荒げる。そりゃそうだ。聞き方からして、先生は裏名義が何なのか知ってるんだろう。やらしい意味で聞いたんだと思われてしまっても不思議ではない。……もしかしたら違うのかもしれないけど。もしかしたら。
『もー、最低過ぎんだろ佐々木先生。下手したらクビだよそれ。ほんと、気をつけないとそういうの。先生、ダメだよ? わかった? ダーメ』
『そうなんです?』
これだから男はと呆れつつも、ラジオとして笑い話にしてあげようとする優しい姉御に、咏ノ原さんが尋ねた。どうやら彼女は本当に裏名義が何のことなのか見当もついていないようだ。
『そりゃそうだろ。だってさ……あ、でもあれか。年齢的に清恵はそういうの出てたら問題になるのか。だから尋ねたって線もなくはない……ちなみに何て答えたの?』
あ、そうか。流石姉御。
咏ノ原さんはまだ女子高生だ。もしいかがわしいゲームに出ていたとしたら、学校としては注意をするのが筋。セクハラ以外の可能性も十二分にある。
『裏名義が何のことだかわからなかったので、逆に尋ね返したんです。裏名義って何のことでしょうかって』
『ふーん……そしたら?』
『ものすごいニヤニヤしながら、とぼけちゃってぇ~、って言われました』
『早くクビになんないかなそいつ』
完全同意。この瞬間、姉御だけでなく、咏ノ原霊朝と呼ばれる咏ノ原さんの狂信的なファンまでもが敵に回ったのだった。