十千しゃなお 電子書籍 オススメ

電子書籍。その中でも素人さんの作品を紹介するサイト。だったはずが最近は全く紹介出来ていないサイト

カテゴリ: とのラジ!?連載


前回分にはこちらから。

『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?3』①
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?3』②





・裏名義①



『己己己さん』
『んー?』
『裏名義って何ですか?』
『ブッ!?』

 ある日の声春ラジオは、現役女子高生声優である咏ノ原清恵さんの口から出てきてはならない単語と、私が敬愛する姉御の吹き出し声で始まった。おそらく飲んでいた液体が変なところに入ってしまったのだろう。私もびっくりし過ぎて机の脚を蹴っちゃったし。

『……? 大丈夫です? 急にむせこんだりして』
『あんたねぇ……。ちょっとぶっ込み過ぎだろ、流石に」
『特(ぶっ)攻(こみ)……?』

 淡々とした冷たく抑揚のない声。姉御をむせ込ませた張本人は今頃不思議そうに小首を傾げていることだろう。おさげ髪が静かに揺れる姿まで想像出来る。このラジオ、生じゃないけど。

『……言っとくけど、アイドル声優が裏名義について触れるなんてそうそうないからね?』
『それはどうしてなのでしょうか?』
『どうしてって、そりゃあ……。……これ、大丈夫? あとで社長とか偉い人に怒られない?』『大丈夫ですよ。私、可愛がっていただいていますから』
『怒られるのはあたしだっつうの!』

 裏名義とは声優さんが十八禁のいわゆるエッチなゲームに出演するときに使ったりするものだ。若手らしからぬ言動で忘れてしまいがちになるけど、咏ノ原さんは一応まだ高校生。危険なくらいある意味ピュアで、性の匂いを全くと言っていいほど感じさせない彼女に、いい大人である姉御が公共の電波を使って吹き込んだとしたら。……今頃姉御は録音ブースの外にいるマネージャーさんの様子を伺いながら、頭を抱えているに違いない。

『……ったく、大体、何で裏名義の話題になるんだよ?』
『この間尋ねられたんです』
『何て? 誰に?』
『咏ノ原は裏名義ないのかって。担任の先生に』
『え? ……え、ちょっと待って。……女の先生?』
『いえ。佐々木先生は男の方です』
『完全にただのセクハラじゃねぇか!?』

 担任が男だと知り、姉御が驚き混じりに声を荒げる。そりゃそうだ。聞き方からして、先生は裏名義が何なのか知ってるんだろう。やらしい意味で聞いたんだと思われてしまっても不思議ではない。……もしかしたら違うのかもしれないけど。もしかしたら。

『もー、最低過ぎんだろ佐々木先生。下手したらクビだよそれ。ほんと、気をつけないとそういうの。先生、ダメだよ? わかった? ダーメ』
『そうなんです?』

 これだから男はと呆れつつも、ラジオとして笑い話にしてあげようとする優しい姉御に、咏ノ原さんが尋ねた。どうやら彼女は本当に裏名義が何のことなのか見当もついていないようだ。

『そりゃそうだろ。だってさ……あ、でもあれか。年齢的に清恵はそういうの出てたら問題になるのか。だから尋ねたって線もなくはない……ちなみに何て答えたの?』

 あ、そうか。流石姉御。
 咏ノ原さんはまだ女子高生だ。もしいかがわしいゲームに出ていたとしたら、学校としては注意をするのが筋。セクハラ以外の可能性も十二分にある。

『裏名義が何のことだかわからなかったので、逆に尋ね返したんです。裏名義って何のことでしょうかって』
『ふーん……そしたら?』
『ものすごいニヤニヤしながら、とぼけちゃってぇ~、って言われました』
『早くクビになんないかなそいつ』

 完全同意。この瞬間、姉御だけでなく、咏ノ原霊朝と呼ばれる咏ノ原さんの狂信的なファンまでもが敵に回ったのだった。

・始まりは主人公のモノローグから
 
 天高く馬肥ゆる秋。
 と言っても、ただの女子大生である私、木(きの)下(した)静(しずか)の日常は春や夏、もちろん冬とも変わらない。
 平日は朝から大学に行って授業をほどほどに聞き、その後はコンビニでアルバイト。
 休日は朝からダラダラとベッドの上かパソコンの前でダラダラし、場合によってはコンビニでアルバイト。今日はないけど。
 大学に入ってからというもの、私は同じような日々をただひたすらに繰り返している。でも、だからといって危機感のようなものはない。話を聞く限り、友人の多くも同じような日々を過ごしているらしいし。
 何より、今現在のように、自分の部屋で、ヘッドホンをつけてパソコンの前に座ってダラダラと過ごすことが私は好きなのだ。共感出来る人、結構いるでしょ?
 もし、私の日常に他の人と違う部分があるとすれば、ラジオを聞くことくらいかもしれない。
「今日はどんな感じなんだろう」
 スマホの画面に表示された時刻を見つめながら、ワクワクを声に漏らす。あと一分ほどで、一週間で一番好きな時間が始まるのだ。私の元気の源である番組が。この時間の為に変わらない日常を送っているとも言えるし、この時間のおかげで変わらない日常を乗り切れているとも言える、特別な番組が。
 似たような趣味の人ばかりTwitterでフォローしているせいか、私のタイムラインは『声(せい)春(しゅん)ラジオ待機!』の声で埋め尽くされていく。もしかしたら、みんなも同じようにこの番組から元気をもらっているのだろうか。自分の好きな時間を大勢の人と共有していると考えると、何だかとても素敵なことに思えた。
 さぁ、私の大好きな時間が始まる。

・秋の声春ラジオ!?①

『あっつ……』

 その日の声春ラジオは姉御こと、己(い)己(え)己(し)己(き)己(き)己(な)己(こ)さんの気怠げ、というか気怠さそのものな声で始まった。

『……? 己(き)己(な)己(こ)さん? もう始まっていますが?』
『……そりゃ始まってるだろうなぁ……始まってるというよりむしろ残暑なんだよなぁ……』
『……何を言っているんです? 気候の話ではなく、収録の話ですよ』

 溶けきった姉御とは違い、ラジオの相方を務める若手声優、咏(うた)ノ(の)原(はら)清(きよ)恵(え)さんの声はいつも通り無機質で冷たく無味無臭。姉御の言う通り、九月も終わりかけているというのに、まだまだ暑い日が続いているものの、咏ノ原さんの声は相変わらずの涼しさだった。

『収録……? え、何、もう始まってんの……?』
『ダメですよ? ラジオは声だけしか届けることが出来ないので、全力でやらなくてはならない。以前、自分で仰っていたじゃないですか』
『言ってたっけ……?』
『言ってました』
『余計なこと言うなよ過去のあたし……。……でも、そんなこと言ったらさ、清恵はどうなのさ?』
『失礼な質問ですね。私はどんな仕事でも全力で取り組んでいるつもりです』
『ほんとかよ……』
『勿論、全力の上限はギャラによって可変しますが』
『若手にあるまじき言葉だな、おい』

 まだキャリア二年目とは思えない発言に姉御が苦言を呈すものの、咏ノ原さんの素直さは相変わらずだなぁとしみじみ。この人は本当に素直過ぎる。

『ま、地獄の沙汰も金次第か……。今日の地獄はかなりしんどいけど……』
『地獄なんです?』
『そりゃそうだろ。三十超えてんだぞ? 十月を前にして』
『己己己さんのお歳がですか?』
『そうそうそう。三十超えると朝起きるのも怠くてしんどいんだわ……って、違うわ!』
『違うんです? でも、かなり寝起きは悪い方だと思いますよ?』
『いや、確かにそれは事実だよ? 最近胃もたれも気になってきたし……だけど、今はあたしの年齢関係ないだろ。温度だよ、温度。外の温度』
『三十度もあるんですか。確かにそれは大変ですね』
『だろ? ……何か他人事なのが引っかかるけど』

 季節外れの夏バテを感じさせる姉御に対し、体温すら感じさせないほど淡々とした咏ノ原さん。まぁ、この人の発言が他人事っぽいのもいつものことだけど。自分のことですら他人事のように話す人だし。というか、この話の流れで三十って言われて、年齢のことだと思うなんて……。やっぱり二人は噛み合っているようで絶妙に噛み合わない。

『外は暑いかもしれませんが、このスタジオは冷房が効いていますから』
『そうだけどさぁ……。けど、帰ること考えたら怠くない?』
『涼しくなるまで、ここで涼んでいけばいいじゃないですか』
『あー、そっか。それもありか……清恵は?』
『私は帰ります』
『えー? 何、仕事あんの?』
『いえ、今日はこれで最後です』
『じゃあ、いーじゃん。一緒に残ろうよ』
『嫌です。学校の課題があるので』
『課題……?』
『はい。私は収録の関係であまり授業に出ることが出来ないので』

 学校の課題。
 咏ノ原さんの冷めた発言で、自分にも大学の課題があることを思い出して憂鬱になると同時に、そういえば咏ノ原さんはまだ高校生であることを思い出す。年齢を感じさせない態度でついつい忘れそうになるけど、この人はまだ十六歳の女子高生なのだ。

『課題か。……あ、今持ってきてる?』
『はい。鞄の中に』
『そっかそっか。なら、あたしがここで教えてやるよ。な? だったら残ってもいいだろ?』
『己己己さん……』

 露骨なほどに咏ノ原さんのことを引き留める。サバサバとした大人の女性という印象もあるが、何だかんだで姉御は寂しがり屋であり、それがまた魅力でもあった。まぁ、姉御本人は、寂しがり屋じゃないと否定しそう。そんな素直じゃないところもまた魅力的なんだけど。

『な、何だよその目は。必死で悪いかよ。しょうがないじゃん、一人で残るなんて暇過ぎるしさ』
『いえ。そういうわけではなく。己己己さんにも、人に教えられることがあるんだなぁと』
『この野郎……』

 残ってもらいたいので怒りきれない姉御。姉御が勉強苦手なことは事実だといえ、芸歴の圧倒的に長い先輩に向かって、オブラートに包むことなく言ってしまえる咏ノ原さんは、本当に素直な人だ。

『己己己さんが何を教えられるかはさておき。収録後の話をする前に、ちゃんとやるべきことがあります』
『やるべきこと……? 大丈夫、わかってるって。こっからはちゃんと気合い入れて収録するって』
『そうではありません。あれですよ、あれ』
『あれ?』
『タイトルコールです』
『あー……そういえばそうだっけ。んじゃ、行くよ? 清恵』
『了解です』

 咏ノ原さんの返事。直後に聞こえた姉御の咳払い。それこそが合図であり、弛緩した空気が一瞬にして引き締まる。
 
『わたしと!』

 姉御の声に、

『あなたの?』

 咏ノ原さんの声が続き、

『声春ラジオ!?』『声春ラジオ!?』

 これまでの噛み合わなさどこに行ったのか、二人の声がぴったりと重なる。
 こうして、私の大好きな時間が始まった。

お久しぶりです。
十千しゃなおです。
今日はちょっと[わたしと!あなたの?声春ラジオ!?]のリハビリ。どんなかんじだったかなって。
もしかしたら[わたしと!あなたの?声春ラジオ!?]の新刊出すときに入れるかもしれません。入れないかもしれません。入れるとしたら加筆するかもしれません。加筆しないかもしれません。あ、修正はします。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

裏名義①


『己己己さん』
『んー?』
『裏名義って何ですか?』
『ブッ!?』
 
 ある日の声春ラジオは、現役女子高生声優である咏ノ原清恵さんの口から出てきてはならない単語と、私が敬愛する姉御こと己己己己己己己さんの吹き出し音で始まった。おそらく飲んでいた液体が変なところに入ってしまったのだろう。私もびっくりしすぎて机の脚を蹴っちゃったし。

『……? 大丈夫です? 急にむせこんだりして』
『あんたねぇ……。ちょっとぶっ込みすぎだろ、流石に」
『ぶっ込み……?』

 淡々とした冷たく抑揚のない声。姉御をむせ込ませた張本人は今頃不思議そうに小首を傾げていることだろう。おさげ髪が静かに揺れる姿まで想像出来る。このラジオ、生じゃないけど。

『……言っとくけど、アイドル声優が裏名義について触れるなんてそうそうないからね?』
『それはどうしてなのでしょうか?』
『どうしてって、そりゃあ……。……これ、大丈夫? あとで社長とか偉い人に怒られない?』
『大丈夫ですよ。私、皆さんに可愛がっていただいていますから』
『怒られるのはあたしだっつうの!』
 
 裏名義とは声優さんが十八禁のいわゆるエッチなゲームに出演するときに使ったりするものだ。若手らしからぬ言動で忘れてしまいがちになるけど、咏ノ原さんは一応まだ高校生。危険なくらいある意味ピュアで、性の匂いを全くと言っていいほど感じさせない彼女に、いい大人である姉御が公共の電波を使って吹き込んだとしたら。……今頃姉御は録音ブースの外にいるマネージャーさんの様子を伺いながら、頭を抱えているに違いない。

『……ったく、大体、何で裏名義の話題になるんだよ?』
『この間尋ねられたんです』
『何て? 誰に?』
『咏ノ原は裏名義ないのかって。担任の先生に』
『え? ……え、ちょっと待って。……女の先生?』
『いえ。佐々木先生は男の方です』
『完全にただのセクハラじゃねぇか!?』

 担任が男だと知り、姉御が驚き混じりに声を荒げる。そりゃそうだ。聞き方からして、先生は裏名義が何なのか知ってるんだろう。やらしい意味で聞いたんだと思われてしまっても不思議ではない。……もしかしたら違うのかもしれないけど。もしかしたら。

『もー、最低すぎんだろ佐々木先生。下手したらクビだよそれ。ほんと、気をつけないとそういうの。先生、ダメだよ? わかった? ダーメ』
『そうなんです?』

 これだから男はと呆れつつも、ラジオとして笑い話にしてあげようとする優しい姉御に、咏ノ原さんが尋ねた。どうやら彼女は本当に裏名義が何のことなのか見当もついていないようだ。

『そりゃそうだろ。だってさ……あ、でもあれか。年齢的に清恵はそういうの出てたら問題になるのか。だから尋ねたって線もなくはない……ちなみに何て答えたの?』
 
 あ、そうか。流石姉御。
 咏ノ原さんはまだ女子高生だ。もしいかがわしいゲームに出ていたとしたら、学校としては注意をするのが筋。セクハラ以外の可能性も十二分にある。

『裏名義が何のことだかわからなかったので、逆に尋ね返したんです。裏名義って何のことでしょうかって』
『ふーん……そしたら?』
『ものすごいニヤニヤしながら、とぼけちゃってぇ~、って言われました』
『早くクビになんないかなそいつ』

 完全同意。この瞬間、姉御だけでなく、咏ノ原霊朝と呼ばれる咏ノ原さんの狂信的なファンまでもが敵に回ったのだった。 



 

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前作『SSクラ部へようこそ』はこちらから



・激おこアキラ丸


 ある日の放課後。
「言っておきますが、僕は怒ってますからね?」
 ソファーではなく、カーペットの上に正座する三人を見下ろして言っておく。
「いや、あれはわたしのせいではなく、」
 右隣を見やり、ハルナさんのサイドポニーが僅かに揺れた。
「何言ってるネー。ハルルが言い出しっぺヨー」
 左隣のハルナさんを見て、レミィのおさげが煌めく。
「そういうレミィ先輩だってノリノリでしたし」
 一番右端、お団子頭のリンさんが呆れたように俯いた。
 責任を押しつけ合う学校の制服姿の三人。言い訳がましいにもほどが……。
「誰のせいだなんて問題ではありません!」
 大きな声で叱ると、三人は「ひぃ!」と短い悲鳴を上げて震える。
「……わ、悪かったよぅ……」
「ソーリー、アキ……」
「すみません、アキラ先輩……」
 僕も怒ることに慣れていないからか、おでこをつけて謝る姿を見ていると危うく許してしまいそうになるので、慌ててそっぽを向く。
「もう知りません!」
 ……ちょっと可愛そうだけど、たまには反省してもらわないと。
「本当にすみません……」
 僕の態度を真に受けてか、しゅんとしてしまうリンさんはやはり素直だ。こういう後輩は先輩として可愛いと思ってしまう。
「今度お詫びに何か奢るネー、アキ。だから勘弁ヨー」
 両手を合わせて拝み倒すレミィを見ていると、少し吹き出してしまいそうになる。金髪で碧眼なのに、純粋な混じりけのない日本人。慣れてはいてもちょっとおかしい。
 ……まぁ、この二人はいいかな。ちゃんと反省してくれているみたいだし。
 問題はいつも通りこの人。
 ジーッと目を合わせたままこちらから何も言わずにプレッシャーをかけ続けると、クラ部唯一の三年生は苦しそうに「むむむ」と唸る。
「……そ、そんなに怒らなくてもいいだろう? しまいには泣くぞ? わたしがだぞ?」
 テーブルの上にある食べかけのゼリーをチラリと見ながら、ハルナさんは唇を尖らせるが、
「フルーツゼリーのフルーツだけ食べられたら誰だって怒ります!」
 部活が終わるまで楽しみに取っておいたものを食べられ、泣きたいのは僕だった。

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前作『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?』はこちらから
うぇぶれんさい一覧
過去分はこちらから。
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』①
 
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』②
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』③
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』④
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑤
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑥
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑦
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑧
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑨
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑩
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑪
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑫
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑬
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑭

『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑮
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑯
『わたしと!あなたの?声春ラジオ!?2』⑰


・放送舞台裏


 加藤さんや福永さんが入ってきて、急遽慌ただしくなった録音ブース。もちろん、誰も逃げられないように、数人のスタッフが外からドアを押さえている。
 それは己己己さんの嘘が嘘だという証拠だ。
「どうしてドッキリだなんて嘘をついたんです?」
「取り返しがつかねーだろ、ああでもしなきゃ。……何か理由があるのかもしれないしさ」
 チラリと己己己さんが俯くデコさんのこと見やる。
 ……甘い考えすぎますね。
 何か理由があったからといって、彼女が盗みを働いたという事実は変わりません。
「……さて、どういうことか説明してもらおうか。デコ」
 俯いて涙を流すデコさんは所々嘔吐きながら、私たちに彼女の理由を教えてくれた。
 端的に言うとこう。
 病に伏した母親に仕送りするお金が欲しかった。
 なかなかバイトが見つからなかっただとか、入院するのにお金が必要だっただとか、デコさんは懺悔をしていたが、私には関係のない話。
「随分と自分勝手な理由ですね」
 思ったことを口にしてから、何を言っているんだろうと我に返る。
 私は何も盗まれていない。なので、私には関係のない話だというのに。
「……悪いけどさ、お金はあげるから小銭入れだけ返してくんないかな」
 そう言って、己己己さんはデコさんに微笑みかけた。
 この人は被害者なのに、何故こんなに柔らかい表情を出来るのだろう。
「この小銭入れさ、こいつから誕生日プレゼントにもらったやつなんだよ」
 デコさんがズボンのポケットから取り出し、己己己さんに渡した小銭入れを私はよく知っている。それは紛れもなく私が銀座のデパートで買った小銭入れだった。
「私もさ、この業界長いから売れない子とか沢山見てきたわけ。だから、あんたの辛さよくわかる。けどさ、他人のもんに手ぇ出しちゃだめだよ。何だかんだ人間関係で成り立ってる職場だしさ」
 今まで気にしたことはなかったけれど、もしかして、私が仕事を得ることで、仕事が何もなくなってしまった人もいたのだろうか……。
 だからといって、私が蹴落としたくて蹴落としているわけではないので、同情はしない。
 しかし、己己己さんの話を聞いて生まれたこの気持ちは何だろう。
 胸を締め付けられるような鈍い痛み。
 己己己さんの財布が盗まれたことによって沸き上がった頭に血が上るような感覚は何だろう。
 ……己己己さんはおかしな人です。
 大人なようで子供っぽいところもあり、物分かりがいいと思ったら我が儘で、怒りっぽいところもあるが我慢強く……端的に言えばよくわからない。
 同級生より眩しく見えるのは大人だからだと思っていた。
 しかし、大人たちでごった返したこのブースの中でも、私は無意識のうちに己己己さんを目で追っている。
「……これは?」
「やるよ。あんたに。くれてやる。けど、別に恵んでやるわけじゃない。あんたに投資するってこと」
 そう言うと、己己己さんは懐から取り出した何枚かのお札をデコさんに渡した。
「大丈夫。あんたは才能あるよ。こんなはした金すぐに稼げるようになる。あたしの耳は確かだからね」
 確かにデコさんに才能があるのは事実です。
 しかし、自分がされたことを水に流してお金を渡すなんて考えられない。私だったら迷うことなく警察に突き出している。
「いつか、もっと金が稼げるようになったら返しにきな。利子は安くしといてあげるからさ」
 渡されたお札を握りしめ泣くデコさんの頭を、己己己さんは犬をあやすかのように荒々しく撫でた。
「……甘いですね。MAXコーヒー並みに甘いです」
 まるで安っぽいテレビドラマのような光景に率直な感想を漏らすと、己己己さんは恥ずかしそうに「うるさい!」と言った。
 ……私は好きですけどね。MAXコーヒー。
「食べるものがなかったら家にきな。一人分増えたところでそう変わんないからさ。なぁ、清恵」
「私がいないときは碌な物が食べれないと思いますけどね」
 己己己さんは目玉焼きも作れない。何故かスクランブルエッグになってしまう。
 全く……作るのは私だというのに、勝手なことを。
 私の声を聞いて、何故かデコさんは雨に打たれる捨て犬のような、憐れみに溢れた視線を私に向けた。
「……勘違いしないでください。私はあなたには何も盗まれていないので、あなたが仕事で成功しようが、盗人として成功しようが興味はありません」
 そう、興味はない。
「……ですが、己己己さんにここまでしてもらうんです、もし己己己さんの名前に傷をつけるような真似をしたら承知はしません」
 私を見つめるデコさんに警告をしてから、またも自分の言っていることのおかしさに気づく。
 自分は関係ないと言っておきながら、何故警告をしているのだろう。
「それと、このスタジオにいるスタッフの皆さん。今回の盗難騒動については他言無用でお願い致します。回り回って己己己さんの責任問題になりかねないので。もし、週刊誌へのリーク、及び、業界内に噂話が流れるのを確認しましたら、ただでは済ませません。事務所の力で」
 またも口から勝手に言葉が出て行く。
 何で私は……。
 己己己さんのこととなると、ときに私は私の行動を説明出来なくなる。
 本当に理解出来ない。私に損得はないというのに。
 しかし。
 その理解の出来なさが心地よくもあった。
「さて、これで一件落着か。そろそろCM明けだしな」 
「いえ……まだ終わってません」
 そして、そんな己己己さんに言いたい言葉がある。
「は? え、何、どういうこと?」
「犯人は一人じゃないということです」
 私の声でまたもざわめき始める録音スタジオ。
「自分は知らないッス! ほんとッス! 自分の単独犯ッス!」
 デコさんが驚くのも無理はない。彼女は正真正銘の単独犯なのだ。
 疑心暗鬼な視線を周囲から受けながら、私は真っ直ぐに己己己さんと目を合わせ、手に持った小銭入れを指差した。
「己己己さん……その小銭入れは己己己さんへのプレゼントではありません。それはお母さんへの誕生日プレゼントです」
「え!?」
 静まりかえった室内に己己己さんの驚きが木霊する。
 私が北海道へイベントに行っている間になくなったものは、しっかりと己己己さんの手に握られていた。
「で、でも、あたしの誕生日にあたしんちのソファーに置いてあったし!」
 ああ、なるほど。己己己さんは自分の誕生日プレゼントだと勘違いしていたんですね。
「それはお母さんの誕生日が来る前に見つかってしまうのが嫌だったので、置かせていただいていただけです」
 それなのに、私からのプレゼントだと勘違いして。
 大切にしているだなんて。
 ……馬鹿ですね。
 プレゼントを盗んだ犯人と相対しているというのに、何故か私の胸は不思議な充足感で満たされていった。
「さて、警察に電話しましょう。私は糖分過多な己己己さんと違ってブラックなので」
「ブラックジョークにしても笑えない……って、ちょっと待て!? あんた、さっきあたしの名前に傷をつけるなって言ってなかった!?」
「傷はつかないのでは? むしろパトカーに乗るなんて箔がつきそうですが」
「おまけに前科もな……って、馬鹿か!? 笑えないから!」
「大丈夫です。頑張って不起訴になれば前科はつきません」
「そんなところで頑張りたくない……」
 がっくりとうなだれる己己己さんを見て、私はいつの間にか微笑んでいた。
 ……犯人に微笑みかけるだなんて、私も己己己さんと同じくMAXコーヒーですね。

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