十千しゃなお 電子書籍 オススメ

電子書籍。その中でも素人さんの作品を紹介するサイト。だったはずが最近は全く紹介出来ていないサイト

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連載七話目 
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連載七話目 
連載八話目
――――――――――――――――――――

「……おい、クソガキ。逃げなくてもいいのかよ? 俺の身体乗っ取ったって、あのギャルは撃つぜ? 俺ごとな」

 見出した勝機に笑みが零れてしまいそうになるのを堪え、魔女のことを挑発した。

「あー! またクソガキって言った! クソガキって言った方がクソガキだもん!」

 不満そうに頬を膨らませながら、魔女は上空にて待機するリディアーヌのことをチラリ見た。いつリディアーヌも参戦してくるのか、警戒しているのは明らかだった。

「今更逃がすと思うなよ? 屋敷のクソみてぇな罠でこちとら頭にきてんだ」
「え? 罠?」
「とぼけてんじゃねぇぞ! てめぇの爆弾で何人やられたと思ってやがる!」

 この屈辱を忘れてたまるかよ。犬歯を剥き出しにしてサトラが睨みつけると、

「ち、違うもん! やれって言われたからやっただけだもん!」

 魔女は自分は悪くないと言わんばかりに震える声で叫んだ。

「ああ!? 誰だそいつは?」
「お、お金くれる人」
「金……? 名前は?」
「知らない。会ったことないもん」
「は?」

 さらっと言い捨てた魔女の言葉がサトラの怒りに触れた。知りもしないやつの命令でRAIDの隊員たちは爆炎に飲まれた? そんな適当な理由を許すことなんて出来なかった。気に食わない連中ではあったが、それとこれとは別の話だった。戦場を共にした仲間の死を汚されて黙っていられるわけがなかった。

「知らねぇやつの言いなりでこんなクソみてぇなことやってんのか? ……ふざけんな!」
「だってしょうがないじゃん! わたしたち不認魔女が生きていくにはこうするしかないんだもん!」

 サトラに向かって気丈に言い返す魔女の目は大粒の涙で潤んでいた。その涙はこの世界における不認魔女の現状そのものだった。
 魔女であるという理由だけで、本人の人間性に関係なく仕事場や集落を追い出されてしまう不認魔女たち。中には家族から一人追い出される少女もいた。中には追い出されるまで自分が魔女だったと知らないものまでいた。それでも世界は手を緩めたりせず、手を差し伸べたりしなかった。だから、認められない彼女たちは生きていくために、出来ることはなんでもするしかなかった。例えそれが認められない行為だったとしても。

「だからって誰かを傷つけてもいいってか? このクソガキが!」
「く、クソガキじゃないもん! じゃあどうすればいいの? わたしたちに死ねって言ってるの?」

 目の端いっぱいに涙を溜めながら魔女が問う。その姿はただの幼気な少女であり、魔女という世界から危険視されている存在には見えなかった。
 彼女のように、多くの魔女は好き好んで犯罪に手を染めているわけではない。そのことはサトラもよく知っていた。大人だけではなく少女までもがその無垢な手を汚さなければならないほど救いのない世界だと。
 だからこそ許し難かった。
 すがるものがないという弱さにつけ込み、魔女を犯罪に利用する汚い大人たちが。
 だからこそ苛立たしかった。
 こうする以外に道はないと自分の行いを正当化する不認魔女たちが。
 だからこそ腹が立った。
 何の解決策も持たないままこうして魔女に説教をしている自分に。

「知るか! んなもんてめぇで考えろ!」
「何よそれ! お姉ちゃんだって何にもわかってないじゃない! 何人もわかってないくせに偉そうなこと言わないでよ!」

 宙に制止していた魔力光の衛星たちが、荒ぶる魔女の心に反応するかのようにまたグルグルと彼女の周りを回り始めた。

「……もういいもん。お姉ちゃんなんて……いらないもん!」

 そう涙目で叫んだ魔女が右手を突き出し、手のひらと周囲を回る衛星から紫色の魔力光が次々に放たれた。

 ――来たな!

 再開する攻撃。飛来する紫色の光。出来るだけ魔力を温存するために、魔女の攻撃を弾いたり逸らしたりすることはせず、サトラは一定の方向へと横っ飛びするように避け、転がり込むように避け、自分が見つけたその物体だけを目指した。

「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い!」

 魔女が髪を振り乱し感情を剥き出しにしながら放つ魔法の一撃をサトラはなんとか交わし続けていた。敵の攻撃を避け、地面を転がり回る姿は決して格好のいいものではなかった。しかし、これも勝つために、屈辱を晴らすために必要なことだと考えれば、自分の惨めさを甘んじて受け入れることが出来た。
 頭に飛んできた光の槍をゴロゴロと横に転がることで交わすと、サトラの手はついにその物体に触れた。魔女にバレないように素早く掴んで魔女に背を向け、左手ごとその物体をローブの袖にしまい込む。これで準備が整った。立ち上がり、魔女の姿を身体の正面に捉える。左の袖から出した手は氷色の輝きで包まれていた。

「もう、眩しいなぁ……!」

 不快そうに魔女が吐き捨てると衛星の回転速度が上がり、放たれる光の洪水は激しさを増した。それでもサトラがこれまでのように地面を転げ回ることはない。最小限の動きで攻撃を避け、少しずつ、確実に魔女との間合いを詰める。

「サトちん……」

 増えた流れ弾に対処すべく、自身が放つ魔力光の光線の数を増やしながら、リディアーヌは心配そうに相棒の戦いを空から見守っていた。
 サトラは避けながら近づける限界の距離まで近づくと、

「行くぞクソガキ!」

 先ほど近づいたときと同じように、魔力光を纏った手で光の槍を弾き返し、迫っていた次弾と相殺。目を覆いたくなるほどの光が拡散する中で、サトラは一気に間合いを詰め、魔女の目の前に立った。

「くたばれ!」

 魔女を呪い殺さんとばかりに睨みつけ、魔力光を纏った拳を振りかぶる。
 それに対し、魔女は本当に懲りないやつだと紫色の魔力光の迸る両手を構えた。
 ここまでは先ほどまでと同じ。
 けれどサトラはそのまま躊躇することなく、魔女の顔面めがけて闘志の籠もった拳を振りきった。実体すら見えないほど氷色の輝きに包まれた拳は空気を押し貫き、一直線に目標へと迫る。

「……全力で殴れば、掴まれる前にわたしを殴れると思った? ……お姉ちゃんのばーかばーかばーか!」
 
 キャッキャと喜びながらサトラを罵倒する魔女。魔女の両手に手首を掴まれ、サトラの拳は顔面に当たる直前で制止していた。
 深々と腕に突き刺さる十本の指。
 傷口から流し込まれる紫色の魔力光。

「さーて、どうしよっかなー」

 勝利を確信したのか、あるいは乗っ取るには大量の魔力が必要なのか、魔女の周囲から魔力光の衛星が消え、彼女は高笑いを上げた。自分の魔力を流し込めば全てが意のままになるという自信。恐らく、この魔女はこれまで何人もの人間をこうして操ってきたのだろう。
 しかし。
 腕に開けられた穴から紫色の魔力光を流し込まれているというのに、サトラの目は今もなお灼熱の殺意でギラギラと輝いていた。

「……何、その目?」
「てめぇが握ったもんをよく見やがれクソ馬鹿野郎」

 絶体絶命のピンチであるはずのサトラに強い口調で促され、魔女は自分が両手で掴んでいるものを見た。
 魔女の掴んだ手。
 氷色の魔力光を失った手。
 サトラのローブの左袖から出たその手は、左手とは反対の順に指がついていた。
 つまりは右手。
 とっくのとうにもげ落ちたはずのサトラの右手だった。

「えっ!? ……あ、しまっ!?」

 サトラが講じた策にようやく気づき、魔女が両手を離そうとするも、彼女の両手が彼女の自由になることはもうない。魔女の両手はサトラの右手ごと氷付けにされていた。

「これで離せねぇよなぁ!」

 血走った眼で叫び、自分の右手だった氷塊を魔女ごと地面に向かって振り下ろそうと左手にありったけの魔力を込めた。これから襲い来るであろう激痛に備え、両目を固く閉ざした魔女。

 ――……チッ。

 その表情が目に入ると、サトラは心の中で舌打ちをして、彼女の左手首に巻かれた魂珠付きの革製バングルへと噛みつき、顎の力で思い切り噛み千切ってみせた。

「ああ!?」

 何てことすんの!と魔女が悲鳴を上げる。サトラは咥えていたバングルを地面に吐き捨て、コンクリートの床にヒビが入るまで右足で踏みつぶした。サトラの足によって粉々に砕かれた魂珠は艶めかしい紫色を失い、ただの灰色の石へと変わった。

「どうだ馬鹿野郎!」

 そう叫び、サトラが右手だったものごと魔女を軽く地面に放ると、彼女は尻餅をつき、
 大粒の涙を流し始めた。魂珠がなければ、魔女はもう魔法を使うことが出来ない。

〈サトちん! さっすが!〉

 一部始終を見ていたリディアーヌから祝福のテレパシーが届くも、サトラの表情に笑みはない。

「ママぁ……!」

 愛しの母親を呼びながら大声で泣く少女の顔を覗き込むかのように中腰になると、サトラは眉間に深い皺を寄せ、左手の中指を突き立てた。

「何が魔女だ、このクソガキが!」

 今日一日で感じた全ての思いを込め、サトラはざまぁみろと叫ぶのだった。



――――――――――――――――――――



「サトラさんが魔女を拘束しました」

 曉梅の報告に盛り上がるフロア。
 サトラの勝利は彼らの努力が実った瞬間でもあった。あるものは歓声を上げ。あるものは近くにいた人間と握手を交わし。あるものは熱い抱擁を交わす。
 喧噪に包まれる中で一人。感動で涙ぐみそうになるのを涼しい顔で我慢しようとする曉梅の横で、ジゼルだけは白い歯一つ見せず、無線でサトラに指示を出していた。

『よくやったサトラ。あとは地上班に引き渡し、ヴェンチアとともに帰投しろ。局に戻り次第、治療を行う』
『了解』

 サトラの返事に無線を切る。曉梅がポーカーフェイスでジゼルのことを見上げていたが、その目は涙でキラキラと輝いていた。

「やりましたね、ジゼル副長」
「ああ。だが、一件落着というわけではない。皆、引き続き捜査の方をよろしく頼む」

 辺りを見渡しながら命じ、局員たちは任務へと戻った。彼らの顔は未だ喜びと興奮に満ち、浮かれているうぴに見えるが、ジゼルは咎めることをしなかった。心の奥底から湧き出た感情は抑えつけられるものではない。女王蟻たるジゼルはそのことをよく知っていた。

「では、私はソフィアのところに行ってくる。まだ寝ているようなら、そろそろ起こさなくてはならないからな」
「寝起き悪いですからね、ソフィア先生」

 目の端からこぼれ落ちそうになった涙を誰にも気づかれないようにサっと拭いさり、曉梅は呆れ気味に言った。サトラの手柄をこのフロアの中で最も喜んでいるのは、同じ魔女隊員の一人である曉梅に違いない。

 ――本当によくやってくれた。

 巨大モニターに映し出された映像。リディアーヌと合流し、何やら談笑する片腕のないサトラに、ジゼルは心の中で感謝の気持ちを述べ、フロアをあとにするのだった。



――――――――――――――――――――



 オルレアン特別治安維持局。
 一階。医療フロアの一室。
 部屋の中に一つだけ置かれたベッドの上。薄い水色の病衣に着替えたサトラが横たわる。その横でリディアーヌと曉梅、ジゼルの三人が、局の専属医であるソフィアによる治療を見守っていた。
 眠気を感じさせるうつろな瞳。よれよれの白衣がある意味似合う浅黒い肌。血の色そっくりな寝癖だらけのロングヘア。サトラに向かってかざされた両手のひらからは髪の色と同じ魔力光が輝き、サトラの身体を優しく包んだ。

「あい、これで終わり」

 ソフィアが両手を下げると、真っ赤な魔力光は光の粒子となり、空気中に溶け込むように消えた。

「わかってると思うけどさ、絶対安静ってやつ。右腕もそうだし、あばらもまだ定着したわけじゃないからね」
「ありがと、ソフィア先生」

 ソフィアに感謝を述べるサトラ。その右肩にはもげ取れたはずの右腕があった。右腕は僅かに透明でシーツが透けて見えるも、感触を確かめるようとすると、サトラの意思通りに指は動いた。
 全てはソフィアのおかげだった。
 魂から情報を引っ張り出し、肉体として定着させる治癒の魔法。
 この魔法のおかげでサトラは再び右腕の感触を味わうことが出来た。
 多少の頼りなさを感じつつ、拳を握ったり、左手で右腕を触り、感覚を確かめる。

「RAIDに犠牲者は出たが、魔女は逮捕出来た。もしかしたら、彼女からこの国に蔓延る麻薬ネットワークに迫ることが出来るかもしれない……ご苦労だったな。サトラ、ヴェンチア」

 腕を組み、サトラのことを見下ろすジゼルから労いの言葉。

「べっつにー? 楽勝だよね、サトちん?」
「まぁな」

 白い歯を見せて答えるリディアーヌに合わせるように、サトラもニヤリと口角を上げる。任務中はとてもそうは思えなかったが、終わってしまえば全てが簡単だったように思えた。

「でもさー、サトちん。本当に魔女かどうか、確証を得るために突っ込んだってのはわかるけどさー、腕を落とすなんて面倒なことしないでさー、リディが直接やっちゃった方が手っ取り早くなかった? 何か理由あったの?」

 首をかしげながらリディアーヌが尋ねる。
 リディアーヌに魔女を撃たせず、サトラが突っ込んだ理由はいくつかあった。
 まず、子供が魔女ではないだろうかという自身の直感を確かめる必要があった。絶対に正しいという自信はあったが、もし万が一本当にただの子供だった場合、どれだけ非難の声が飛んでくるのかわかったものではない。それに、子供を殺すという嫌な経験をリディアーヌにはして欲しくなかった。
 故にサトラは突っ込んだ。自分の考えが正しかった場合、身体を乗っ取られてしまうというリスクを背負ってまで。恐らくそのことはリディアーヌもわかっていた。
 リディアーヌが尋ねているのはそこではない。

 [ガキが俺の腕にしがみついたら、合図出す! そしたら俺の腕を落とせ! 絶対ガキには当てんなよ!]

 これがサトラより飛ばされたリディアーヌへの指示だった。
 腕を落とさせるのには魔女の支配からサトラを解き放つためという明確な理由がある。あえて魔法を使わせることで、子供が魔女であることを確定させようと、サトラは最初から自分の身体を囮に使うつもりだったのだ。
 しかし。だったら何故リディアーヌにサトラの腕ごと魔女を撃たせなかったのか。

「……馬鹿野郎。そんなんで気が済むかよ。こっちはさんざこけにされてんだぞ」

 自分でぶっ飛ばしたいに決まってんだろ。と、サトラは開き直るように答えた。
 危うく爆殺されかけたことへの怒り。
 一瞬でも魔法の扱いがもっと上手ければと血迷わせたことへの憎しみ。
 坊主頭の女が魔女であると欺こうとしたことへの殺意。
 ついでにRAID隊員から性的な煽りを受け、気分を害されたことへの苛立ち。
 全てを解消し、屈辱を晴らすには、自分の手でぶっ飛ばす以外の選択肢はなかった。

「そんな理由~?」

 これだからサトちんは。リディアーヌは呆れるように笑ってくれた。だが、サトラの身体を治療してくれたソフィアは不満そうに眉をひそめる。

「そんな理由であたしの睡眠を妨げるかね? 許されることじゃないよね? それ」
「まぁまぁ、いーじゃんソフィアせんせ。リディたち魔女なんだから、ちょっとくらい寝足りなくても問題ないっしょ」
「はい? 何、その低偏差値な発言? 睡眠こそが美しい肌を保つ秘訣だってのに。若いからってかまけてると、五年後に後悔するよ?」
「ご、五年後? それはちょっと……」

 ボリボリと乱雑に頭をかきながらソフィアが脅しかけると、リディアーヌはゴクリと息をのんだ。いつでも可愛くありたいギャルに肌の話は効果覿面。年上であるソフィアからの話ともなれば、説得力は十分だった。
「それともあれ? あたしはあんたと違ってまだ十代だから問題ない。そういう風に喧嘩を売ってる? なるほどねぇ、よくわかった。ああ、本当によくわかったよリディアーヌ?」
「ちょ、何か怖いんだけど……?」
「そうだなぁ、売られた喧嘩はどうやって買おうか……。まず定期検診のデータから、あんたの体重と体脂肪率を男性局員に広めていくことにするか。うん、そうしよう」
「せんせ!? ウソウソ、せんせが正しい! リディが間違ってました!」

 陰湿な口撃にリディアーヌは半ベソをかいて必死になる。乙女の秘密たる体重バラしの刑=年頃のギャルに計り知れないダメージ。
 涙目で謝るリディアーヌと、オヤジっぽい豪快な笑みを見せるソフィア。二人の姿を見ていると気が抜けていき、サトラはようやく任務が終わったという実感がわいた。

「……ですが、気は済んだんですか? 結局、あの子には一撃も与えていませんが」
「あ、そうそう。それ、リディも思ったんだよね」

 曉梅の問いにリディアーヌが便乗する。

「サトちん超キレてたし、やり過ぎちゃうかもってハラハラしてたんだけど、あれ、何で?」
「何でって……別に何でもねぇよ。ただ気分じゃなくなっただけだ」
「ふーん……サトちんてば優しいんだねー」
「はぁ!? ふざけ、そんなんじゃねぇよ馬鹿野郎」
「はいはい、照れない照れない」
「てめぇ! リディ!」

 ニヤニヤとからかい続けるリディアーヌに掴み掛かろうと身を起こすと、

「こら。安静って言ってんでしょ。まったく、あんたたちはいつもいつも」

 ソフィアが呆れ顔で二人の間に割って入った。それでも、治ったら覚えておけよとサトラがリディアーヌのことを睨むと、彼女は余計楽しそうに笑みを浮かべた。

 ――別に優しさじゃねぇよ。

 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
 本当なら。
 リディアーヌが想像していた通り、気が済むまでぶっ飛ばすつもりだった。自身のもげた落ちた右手ごと魔女を地面に叩きつけ、徹底的にぶっ飛ばすつもりだった。
 けれど。
 叩きつけようとした瞬間、痛みに怯える魔女の顔が目に入り、弱く、何も出来ずに全てを恨んでいた自分の姿が重なった。環境を恨み、境遇を恨み、自分の情けなさを恨むしかなかったあの頃の自分に。
 もし、普通の人間になりたくはないかという言葉がなかったら自分もあの少女と同じような道を歩んでいたかも知れない。そう気づいてしまった瞬間に同情してしまい、怒りの炎は少女ではなく少女を影で操つる存在へ向いてしまった。
 甘い判断だったということはサトラ自身もわかっていた。

「……感情にまかせてぶっ飛ばしちまったらあのクソガキと変わんねぇだろ。俺らの目的は魔女を逮捕すること。それだけだ」

 だからこそそんな自分自身を納得させるように最もらしいことを述べる。自分自身はともかく、皆納得のいく意見だったようで、誰からも反論は来なかった。

「……あーあ。明日はせっかくの休みだってのに、一日ベッドの上かよ」
「安心してねサトちん。リディと曉ちんが、サトちんの分もたーっぷり楽しんできてあげるから!」

 そう言ってリディアーヌが曉梅の首に腕を回し抱き寄せると、突然のことに曉梅は身体と尻尾をビクンと震わせた。

「お前なぁ……少しくらい気を遣うって気持ちはねぇのか」
「わかってるって。ちゃんとサトちんが退屈しないように、五分おきに電話すればいいんでしょ?」
「馬鹿野郎。嫌がらせじゃねぇか!」

 からかうリディアーヌに噛みつく。これがいつものコミュニケーション。
 そして、「この人たちは本当に……」と曉梅が呆れるまでが魔女小隊の日常だった。

「……無様ですね。サトラさんは」

 真っ直ぐにサトラの顔を見て、曉梅が毒を吐く。けれど、猫科の耳はしょんぼりと伏せてしまっていた。

「どうした? 俺を尻目に休日を謳歌するのは気が引けるってか?」
「はぁ? 何言ってるんですかあなたは。右腕だけじゃなく頭まで、」

 図星を突かれ早口になった曉梅の言葉を遮り、

「しっかり羽伸ばしてきな。そっちのが俺も嬉しい」

 あくまで気を遣えと言ったのは冗談だと諭すようにサトラは曉梅の頭を左手で撫でた。最初は驚き、僅かな抵抗が見られたものの、曉梅は俯いてされるがままに頭を撫でられた。
 まだ幼い曉梅にサトラは余計な心配をさせたくはなかった。何より、元々明日は一日寝て過ごすつもりだったので、眠るベッドが違うだけで当初の予定とはほとんど変わらない。

「サトラさん……」

 頭を撫でられながら、どうしたらいいのだろうと、俯いたまま悩みに悩む曉梅だったが、

「な?」

 とサトラが目を細め、白い歯を見せて促すと、

「……最初からそのつもりでしたが?」

 曉梅はそっぽを向いて、皮肉屋の彼女らしい返事をした。それはサトラの求めていた返事でもあった。

「じゃあ、曉ちん。今から明日の準備しよっか。リディがお洋服とか選んであげる」
「ええ、そうしましょう。私たちは明日休日ですからね」

 既に休日モード全開なリディアーヌに手を引かれ、曉梅もドアの方へと向かう。ファッション雑誌を片っ端から買い集めているオシャレ大好きギャルのコーディネートは、局内でも評判高かった。

「バイバイ、サトちん!」

 満面の笑みで大きく手を振るリディアーヌ。

「……おやすみなさい。お土産に何を買ってきても文句は言わないで下さいね? 可愛い私がわざわざ買って差し上げるんですから」

 礼儀正しく、控えめに頭を下げる曉梅。

「ああ。またな」

 無傷な左腕の肘から先を軽く振るサトラ。それを見て二人は病室を去って行った。

「あたしも帰ろっかな。誰かのせいで睡眠時間削られちゃったし。じゃ」

 当てつけのようにサトラのことをジロリ見て笑うソフィア。これまた当てつけのように欠伸をしながら、彼女も病室を出て行き、バタンとドアが閉められた。

「……ああは言っているが、ソフィアも心配しているんだ。あまり無茶なことはするな」
「……了解」

 ジゼルのフォローに、少し反省するようにゆっくり頷く。ソフィアがいつも眠たげなのは、局員たちの健康状態を保つため、夜遅くまで働いているせいなのだ。今更ながら、わざと腕を落として心配をかけさせてしまったことが申し訳ないと思った。

「しかし、取れた右腕を隠し持ち、左腕のダミーにするとは。よく機転が利いたな」

 サトラの魔女を欺いた方法を褒め、感心したようにジゼルが頷いた。
 もげ落ちた右腕を拾い、ローブの左袖の中に引っ込めた左腕で持ち、関節を魔力で動かして普通の腕として扱って、右腕と左腕を誤認させる。それがサトラの用いた策だった。
 指の付き方から、静止状態であれば簡単に見破られてしまいそうな策だったが、動きの中であり、魔力光を纏わせてカモフラージュしていたので、頭に血の上った魔女は最後まで気がつくことが出来なかった。

「わざわざ傷口から魔力を流し込んでんのはわかってましたからね。だったら、身体と繋がってなきゃ意味ないんじゃねぇかなって」
「もしその推測が違ったらどうするつもりだった?」
「どうするもこうするもないですよ。違ったら身体を乗っ取られるだけですから。……気には食わねぇけど、あとはあのギャルが上手くやったんじゃないですかね」

 向こう見ずで投げやりなサトラの答え。実際に口に出したりはしないものの、サトラはリディアーヌのことを信頼していた。正確にはリディアーヌだけではなく、曉梅、ジゼル、ソフィア、全ての局員をサトラは信じていた。自分の仕事をこなすプロの集団だと。
 そんなサトラの言葉を、ジゼルは少し呆れたかのように鼻で笑った。

「……私もデスクに戻るとするか。まだ仕事は残っているからな」
「お疲れ様です」
「全くだ。お前が魔女を叩きのめす映像がネット配信で流されていたらしくてな。ただでさえ後処理に忙しいというのに、児童福祉団体からの抗議に対応しなければならん」
「う……すみませんでした」

 今の時代、携帯電話さえあれば誰でもたったの一分でストリーミング放送を始めることが出来る。今回の老人介護施設立て籠もり事件も、近くのビルにいた野次馬によってしっかり放送。映像だけで判断すれば、サトラが子供をぶっ飛ばしているようにしか見えなかった。

「なに、気にするな。あれが魔女であったことは向こうもわかっているはずだ。所詮、ポーズとして言ってきているに過ぎん。……だが、貯水タンク破壊した件についてだが、あれは擁護出来ん。これについてはお前たちに始末書を書いてもらう」
「え? いや、あれは、突撃のための必要経費だったというか、その……」

 想定していなかった言葉で盛大に焦る。あれは仕方のないことだった。あれはリディアーヌが勝手にやったことで貯水タンクを狙えなんて一言も言っていない。始末書という忌まわしき罰則を避るためにサトラは言い訳を試みる。が、無言&無表情で見つめたままのジゼルの目が、逃れることは出来ないと残酷に告げていた。

「……了解」

 プレッシャーに耐えきれず、サトラがあきらめの声を漏らすと、

「ではな。報告は以上だ」

 もう用はないとばかりにジゼルは背を向け、ドアの方へと歩み始めた。

 ――休みは潰れるわ、始末書だわ、最悪過ぎんだろ……。

 自分の不幸を呪うかのように大きくため息をつく。こんなことになるなら、もっとあのクソガキのケツでもぶっ叩いておくんだったと軽く後悔した。

「サト」
「ん?」

 不意に愛称で呼ばれ、そちらを向く。

「また、普通の人間に近いづいたな」

 ドアノブに手をかけながら、微笑むジゼル。その表情は普段の鋼鉄さを感じさせないほど人間味にあふれ、悪戯っけに満ちた笑みだった。

「ジゼル……」

 ジゼルにつられるようにサトラ役職ではなく名前を漏らした。
 自分をここまで導いてくれた[あの人]の名前を。

「……嫌みかよ。なくなった腕が元通りになる人間が、どこにいるってんだ」

 悪態をつきながら、サトラも笑った。








――――――――――――――――――――




 同刻。
 明かり一つない真っ暗闇の中に二人の少女がいた。
 いくら目を細めて近づいてもお互いの輪郭すらわからないほど、部屋の中は暗黒に満たされていた。それでも人間ではない二人には、お互いがどこにいるのかどころか、お互いがどんな格好で何を見ているのかすら把握出来た。

「……やはり、次はあの子たちで決まりかな」

 目を閉じて椅子に深く腰掛けた少女が顎に右手を当てながら満足げに漏らした。

「あの子、たち……? サジェス。今度は、何?」

 床に腰を下ろし膝を抱えていた少女が顔を上げると、リン、と鈴の音が響いた。

「前から目はつけていたのだけれどね。オルレアン特別治安維持局にいる子たちの話だよ」
「私は、知らない。わからない」
「僕がわざわざ会わせないようにしているからさ。君の代わりはどこにもいないからね」
「私が、危険?」
「万が一への備えだよ。つまり、価値ある。君にはね」
「それなら、いい」

 満足そうに少女が頷く。動きに合わせて鈴が小さく歌った。抑揚のない少女の声に代わり、鈴がその役目を果たしていた。あまりにも無垢で無警戒な反応に、サジェスと呼ばれた少女はクツクツと喉を鳴らした。

「以前から目はつけていたのだけれどね。サトラ君には」
「どんな、人?」
「ぶっきらぼうで口が悪くて往生際も悪い子だよ。おまけに魔女としては不完全。魅力的だろう?」
「……わからない」

 少女が首を横に振り、リンリン、と鈴が鳴ると、サジェスはだろうねと頷いた。

「確かに君好みではないかな。君なら……相棒の子を気に入るかもしれないね」
「いい子?」
「とびっきりにね。明るくて思いやりのある子さ。きっといい友たちになれるよ。君となら」
「私も、嬉しい」

 心から嬉しそうにゆっくりと頷き、少女の鈴は微かな音を発した。

「……楽しい?」

 闇の中、サジェスの横顔をジッと見つめ少女が尋ねる。サジェスの口角は確かに上がり、表情は未来への期待で満たされていた。

「楽しみなのさ。突如現れた魔女たちから膨大な資源を得ながらも、彼女たちを敵視するこの世界の人間たち。魔法という巨大な力を持ちながらも、何故かこの世界を侵略しようとしない向こうの世界の魔女たち。そして、両者の接触によって被害者になり、生きるために加害者となることを強いられる不認魔女たち。……様々な思惑が錯綜するこの時代をあの子たちはどう生き抜くのか。想像するだけで涎が止まらなくなりそうだ」
「誰が、正しい? 人間? 魔女? 不認魔女? サジェスなら、わかるはず。何も、かも」

 少女の質問が意外だったのか、サジェスは閉じていた両目のうち右目だけを開いて少女の方を見やった。

「知りたいのかい?」

 意外そうにサジェスが尋ねると、リンリン、と鈴の音が二回。

「欲しいのは、友たち」
「だろうね。実に君らしい。君にとってはそれが正解さ。みんなが君の友たちになれたら幸せになれるのにね」
「私も、幸せ」

 サジェスの言葉は皮肉ではなく、少女の満面笑みも嘘偽りには見えない。

「そろそろ行こうか。僕たちを呼んでいる」

 残っていた左目も開いて椅子から立ち、サジェスは床の上で膝を抱える少女に右手を差し伸ばした。

「これから、始まる?」

 差し伸ばされた手を握り、立ち上がりながら少女が尋ねる。

「始まる? 始まりはとっくの昔さ」

 サジェスは何を言っているんだい?とばかりに首を捻った。

「そう、魔女が逃げていった六百年以上前にね」

連載七話目 
――――――――――――――――――――

現場に到着してから三十分は経とうとしていた。
 サトラはリディアーヌと別れ、見晴らしのよい十八階建てのビルの屋上から、老人介護施設の様子を伺っている。
 普段はビルからビルへと幾本もの橋が繋がっており、まるで蜘蛛の巣のようなその光景から、ラ・デファンスは蜘蛛の街(ヴィル・ドゥ・ラレニェ)と呼ばれていた。が、非常時である今はビルの内部へと橋が仕舞われているので、二つの建物の間には障害になるようなものは何もない。サトラのいるビルから老人介護施設までは八百メートルほどの距離。いわば絶好の狙撃ポイントになっており、サトラから少し離れた位置に狙撃銃を構える隊員たちがいた。同じビルの屋上ではあるものの、サトラとRAID隊員たちが会話を交わすことはなかった。
 彼らは見つからないように出来るだけ上体を低くし、銃につけられたスコープ越しに標的を見ていた。魔力によって視力が強化されているサトラには裸眼で事足りる距離だった。屋上の縁に両肘をついて手を組み、その上に顎を乗せ、サトラは黙々と老人介護施設を眺めていた。
 老人介護施設は、目立たないようにしているのか、セレブ御用達というには質素な作りをしており、外観からは何の施設なのかわからない三階建ての建物だった。唯一の特徴と言えば、二階にある大きなテラス。そこには武装した被疑者たちがおり、人質と思わしき老人集団に銃器を見せつけ座らせていた。
 人質の数は二十名ほど。総白髪の老人たちに混じり、スタッフと思わしき比較的若い姿がチラホラ。思ったより少ないのはお高いところだからか?と思いながら、サトラの目は一人の被疑者を捕らえて放さなかった。
 サングラスをかけた坊主頭の女。
 サトラに苦い思いをさせたデリツィアは、小さな子供のこめかみに銃を突きつけつつ、まるで盾にするかのように後ろから左腕で抱き寄せ、拘束していた。
 子供の着ている服から、その子供があの麻袋を頭に被せられていた人質であることは明らか。肩まで届かない黒髪をセンターで綺麗に分けた子供は、男の子なのか女の子なのか区別のつかない可愛らしい顔つきをしていた。伏し目がちに俯きながら、自分の身体を押さえつける女の左腕を両手でギュッと握っていた。

 ――またガキを使うのかよ……!

 見ているだけで憤りがぶり返す。今すぐ飛び出して行き、ぶっ飛ばしてやりたいという衝動を理性で必死に抑えつけた。もし、アルマンが好きにやっていいと信頼を見せてくれなかったら、サトラは自分を止められなかったかもしれない。
 苦虫を潰すような思いをしながら、出来るだけ心を落ち着け、老人介護施設の状況を確認していると、

〈ねぇ、サトちんサトちん!〉

 リディアーヌからテレパシーが飛んできた。彼女は今、別の角度から状況を認識するため、注意を引き狙撃班から目を逸らさせるため、サトラのいるビルから二百メートルほど北の空に堂々と浮いている。何か用なのかとそちらの方を見やると、星が飛び散りそうなウインクを送ってきた。

〈……どうした?〉
〈どうしたじゃないよ! あの女の子超々々可愛くなーい? ほら、あのすっごい髭してるお爺ちゃんの隣〉
〈何見てんだ、てめぇはよ……〉

 任務中とは思えない呑気な発言。くだらないこと言ってんなと思いつつ、人質たちの顔を一人一人確認する。リディアーヌが言っているであろう、サンタクロースのような髭をした恰幅のよい老人の横。確かに女の子がいた。
 腰まで真っ直ぐに伸びた栗色の髪の毛。夕焼けに照らされながらもなお白い肌。白いワンピースの上に淡い水色のカーディガンを着こなす姿には気品があり、サトラやリディアーヌにはない育ちの良さが感じられた。

〈……スタッフにしちゃあ随分と小綺麗な格好してんな。何であそこにいんだ? あいつ〉
〈お偉いさんのお孫さんとかじゃない? お見舞いに来たとか。歳は……リディたちと同じくらいかなぁ?〉
〈どうだろうな。……んなことより、他に魔女の疑いがある奴がいないか確認するぞ。狙撃までそう時間はねぇ〉

 狙撃の音がゴングになる。的に向かって銃弾が飛んだとしても、魔女に銃撃が通用する可能性はそう高くない。故に、狙撃が成功しようが失敗しようが、サトラは魔女に向かって突っ込まなければならないのだ。
 狙撃が終わればわかることとはいえ、果たして誰が魔女なのか。サトラは出来るだけハッキリさせておきたかった。
 屋敷での一件から魔女がいることは確実になった。
 が、誰が魔法を使ったのかは目撃されていないので、確定はしていない。
 改めて被疑者たちの様子を確認してみる。
 玄関口にて周囲を警戒する男が二人。
 二階のテラスには老人たちを見張る男が三人と、建物を取り囲む警察とRAIDに見せつけるように子供を盾にする女が一人。
 そして屋上から辺りを警戒する男が一人。
 イブラヒム邸から車で逃げたメンバーは全員視認出来る場所にいた。

〈うーん……やっぱりテラスにいるのじゃない? 他に女っぽいのいないし〉

 被疑者たちの中に女は一人。となれば必然的に魔女は子供のこめかみに銃を突きつけ挑発的な笑みを浮かべる笑うデリツィア。彼女に絞られる。事実、この現場に来るまでサトラも絶対にあいつが魔女だと決めつけ、憎しみを向けていた。
 しかし、ここに来てサトラは引っかかるものを感じていた。
 何かが腑に落ちない。
 落ちきらない。
 子供を盾にするデリツィアの姿を見て、釈然としないものがあった。
 この違和感があるが故に。
 子供を盾にする姿に腹を立てながらも、サトラは飛びこんでいかずにいられた。

〈……何かおかしくないか、あれ〉
〈え? 何が?〉
〈いや、よくわかんねーけど……何だ?〉

 何故、おかしく思ったのか。
 自分でも疑問に答えられなかった。
 銃を持っているから? 
 確かに魔女は銃を使わないのが一般的。魔法という人間にはない能力に誇りを感じているのか、多くの魔女は武器を持たない。
 だが、それは一般論でしかない。現にサトラは銃を使う魔女を逮捕した経験もあった。
 だとしたら何が引っかかるのか。自分の視界の中におかしなことがある気がするのに、それが何なのかはわからない。

〈曉。お前は誰が魔女だと思う?〉

 テレパシーで曉梅に尋ねる。サトラたちだけでなく、RAID隊員の見ている光景も【視界共有】によって無許可で盗み見ている曉梅なら何か気づいているのではないかと。

〈……? デリツィア以外選択肢はないのでは?〉
〈……だよな〉
〈はい。身寄りのない哀れな不認魔女の典型的末路というものです〉

 曉梅の言葉にサトラは一応の賛同を示すものの、釈然とはしない。しきらない。曉梅だけでなくリディアーヌも感じていない、自分以外の誰も気づいていない違和感。それでも勘違いだとは思えない。

 ――……わっかんねー。

 自分自身に問いかけてみるも、モヤモヤが募るだけ。明確な答えは何も見いだせなかった。『サトラ。聞こえるか?』
 突然アルマンから無線が入り、思考を中断して、『はい』と返事をした。

『魔女はわかったか?』
『それは……いえ。まだです』

 まるで悩む姿を見られていたかのような質問に驚きながら、素直に答える。少しでも信頼されているのがわかっているので情けなくなるが、見栄を張る理由なんて何もなかった。

『……残念だが、人質のことを考えるとこれ以上の引き延ばしは出来ない。狙撃許可を出させてもらうぞ』

 重いアルマンの言葉。交渉をあまりに長引かせれば犯人たちが苛立ち、間違いを起こす可能性があった。また、人質にされるだけでも精神的な損耗は激しく、老人たちの体力を考えれば、長期戦は得策とは言えない。
 故に、

『……了解』

 そう答えるしかなかった。悔しさはあるが、人命最優先なのはサトラも変わらない。むしろ、狙撃許可を出すと断りを入れてくれたことに情けすら感じていた。
 狙撃許可が出るということは、いよいよ覚悟をしなくてはならない。これから魔女と戦う覚悟を。余計な疑問に頭を使っている場合ではなくなるのだ。

〈もう狙撃するってよ〉

 そろそろ準備しとけという意思をこめ、自分が受けた連絡を端的にリディアーヌへ。

〈ふーん。……でもさー、サトちん。何で相手は全然魔法使わないんだろうね?〉
〈あん?〉

 ――何で魔法を使わない……?

 言われてみれば。確かにこの現場に ついてからというもの、サトラは魔力光を見ていない。いや、よくよく考えてみれば。今回の事件を通して見ても、あの中にいるはずの魔女は一度しか魔法を使っていない。
 魔女という生き物は、基本的に魔法で出来ることは魔法で済ます生き物だ。魔女たちの世界に生まれ育ったサトラはリディアーヌよりもそのことをよく知っていた。

〈……そりゃあ、あれだろ。魔女がいるってバレたくないんだろ〉
〈屋敷では使ったのに? 結局誰が使ったかまではわからなかったけど〉

 苦し紛れの回答にツッコミを入れられてしまう。サトラは何も言い返すことが出来なかった。
 魔女がいると知られたくない理由はわかる。魔女が関わっているとなれば、オルレアン特別治安維持局(サトラたち)が絡んでくるからだ。人間の相手をするより魔女の相手をする方が面倒だということは、同じ魔女なら身をもって知っているはず。
 だが、今回はイブラヒム邸での一件で魔女がいることが既に明らかになっており、だからこそサトラたちが派遣された。つまり、今更隠そうが意味はないのだ。
 それなのに何故?
 今回の事件で魔女は一度だけ魔法を使ったが、屋内での使用であり、誰が魔力光を放ったのかわからなかった。もしかすると、あれも誰が魔女なのかわからないようにするために屋内から使ったのだろうか。
 魔女だとバレることに何の不都合があるのか。そんなまどろっこしいことしてもお前が怪しいことは変わんねぇぞと、デリツィアを見やる。彼女は相変わらず子供に銃を突きつけ、盾のように扱っていた。
 デリツィアと盾にされた子供のことを眺めながら、どういう風に突っ込むのかシミュレート。イブラヒム邸での借りは絶対に返さなければならない。が、まずは人命救助が最優先。人質が一人でも殺されてしまえば、それはサトラの中で敗北を意味した。
 腰につけたボトルからチョコレートを一摘まみして、一口。口の中で溶かしながら、一体どうやって子供をデリツィアから引き離すかを考える。子供のことを左腕で抱き寄せているのでほぼ密着状態。彼女が魔女だとすれば、引き離すことは困難なように思えるが、それでもサトラはやらなくてはない。完膚なきまでに勝つために。
 一番面倒なのが、こめかみに突きつけられた拳銃。まずあれをどうにかしなくてはならない。最悪、不意さえ突ければ銃を弾き飛ばすことが出来るだろう。
 どのようにして銃を封じるか思考を巡らせつつ、何処かに何か隙はないかとデリツィアの様子を伺った。
 すると、

「……ん?」

 サトラはおかしなことに気がついた。
 それはデリツィアの隙ではなかった。
 子供を盾にする彼女の姿を見てからずっと感じていた奇妙さの正体だった。
 改めてその違和感を凝視する。まるで、これまでのつっかえが全て取り除かれたかのように、一筋の閃きが身体を走った。

「……そういうことかよ」

 頭に浮かんだ新たな可能性。けれど、サトラには不思議な確信があった。他の考えを全て選択肢から消滅させてしまうほどの自信があった。

〈リディ!〉

 急ぎリディアーヌにテレパシー。正解へと辿り着いた喜びに浸っている余裕なんてなかった。狙撃許可はもう出されているのだ。 

〈ちょ、何? 急におっきな声、〉
〈誰が魔女なのかわかった! 俺が合図出したら、何でもいい、目立ちそうなものぶっ壊して注意逸らせ! その隙に突っ込む!〉

 苦情を遮り、伝えるべき指示を叫ぶと、

〈え!? 誰!? 何で!?〉

 驚きだけに満たされたリディアーヌの言葉が返ってきた。

〈いいか、時間がねぇ。一回しか説明しねぇから、ちゃんと聞いてろ!〉

 誰が魔女なのか。
 どうしてそう思ったのか。
 どういう作戦で打ち倒すのか。
 必要なことだけを端的に説明する。口を挟ませるつもりのないサトラの説明をリディアーヌは黙々と聞いた。

〈……なるほどねー〉

 魔女の正体とその理由についての異論はなく、箒に跨がったリディアーヌのうんうんと頷く姿が北の空にあった。
 けれど。

〈でもさ、それだったらさ、〉

 作戦についてはそうではなかった。

〈直接当てちゃった方が、〉

 サトラの作戦に難色を示し、代替案を述べようとした瞬間。
 一斉に轟く七つの銃声。
 狙撃班により放たれた銃弾によって、六人の男たちが打ち倒される。周囲に血液が弾け飛び、老人たちが若者顔負けの悲鳴を上げた。
 けれど、デリツィアは未だ健在だった。気まぐれに吹いたビル風により銃弾は誰にも当たることなく、デリツィアの背後にある窓ガラスに穴を開けた。
 突如として生み出された六つの死体と、犯人のうち一人がまだ生きているという事実。阿鼻叫喚とする二階テラス。サトラのいるビルの屋上には、自らのミスなのかと呆然とする隊員の姿があった。
 人質をとった犯人グループを狙撃する場合、打ち漏らしはあってはならない。逆上した生き残りによって人質に危害が及ぶ可能性があるからだ。よって、現状は最悪の状態と言っていい。

〈つべこべ言ってる暇はねぇ! 撃て、リディ!〉

 心の中で叫び訴えた。絶対に正しいという自信はあるが、万が一サトラの考えが正しくなかった場合、人質の命が危ない。

〈……あーもう! わかったよう!〉

 何があっても知らないからね!と開き直るリディアーヌ。
 直後、箒に跨がり空を飛ぶ彼女の背後に金色の光が現れた。魔力光の球体。意のままに動く力の塊。縦横無尽の弾丸。
 狙いを定め、リディアーヌは長い指をパチンと鳴らした。魔力光は球体から細長い棒状のものへと変わり、レーザー光線のように一直線に飛んでいく。
 リディアーヌが狙ったのは老人介護施設の隣にあるビル。屋上の貯水タンクだった。放たれた魔力光はタンクを貫通。開いた穴からは大量の水がおどろおどろしい音を立てて噴き出し、屋上から地上へと降り注いだ。
 突然放たれた一筋の光により、盛大に破壊された貯水タンク。人々の視線を釘付けにするには十分すぎる光景だった。人質になった老人たちも、盾にされている子供も、RAID隊員たちも天を仰ぎ、ビルから溢れ出る水飛沫を眺めた。

〈よくやった!〉

 リディアーヌが魔力光を放つと同時に屋上から地上へと跳び降りていたサトラが、アスファルトの道路を駆け抜けながら相棒の成果を褒め称える。サトラが突っ込むのにこれ以上のタイミングはなかった。
 老人介護施設二階のテラスにいる人物の中で、ただ一人。デリツィアだけは上を向かず、前を見据えていたが、サトラはそれで構わなかった。デリツィアの不意を突く必要なんてなかった。

 ――行くぞこの野郎!

 頭に巻いていた包帯を邪魔だとばかりに引き千切って、両足で思い切り地面を蹴り跳ぶ。魔力を用いた大ジャンプは老人介護施設までの残り五十メートルを一瞬で0にし、デリツィアの目の前に着地した。
 どこからともなく現れたサトラの着地音に、誰もが天から視線を移そうとする。が、サトラはその全てより速かった。
 着地すると同時に、子供を抱き寄せていたデリツィアの左腕を両腕で鷲掴み。そのままくるりと背を向けると、サトラは腕の力だけで大人の身体を背負い投げてみせた。
 コンクリートの床に背中から叩きつけられ、デリツィアの身体は僅かに弾んだ。どこからも出血は見られないものの、仰向けに倒れた彼女には意識のある素振りがなく、瞼は綺麗に閉じられていた。どんな審判員でも物言いがつけられない見事な一本だった。
 つむじ風のようなサトラの動きに一瞬何が起こったのかわからず、目を見開き呆然とする人質たち。しかし、盾にされていた子供が感情を爆発させるように身体ごとサトラの右腕に抱きつき、しがみつくと、それを見て自分たちが助かったということを理解した。
 次々に歓声を上げ、涙を流し、自分たちを救ってくれたサトラへ走り寄ろうとする。
 しかし、開放感と感動に満ちた表情の彼らを、

「近づくな! まだ終わっちゃいねぇ!」

 サトラは怒号で制した。
 その眉間には深く皺が刻まれ、表情はテラスに突っ込む前よりも険しいものになっていた。
 まだ終わっていないという発言で恐怖がぶり返し、立ち止まる人質たち。彼らを余所に、サトラは自分の腕に抱きつく子供のことを見下ろした。

「……てめぇが魔女なんだろ? クソガキ」

 憎しみを込めて睨みつけた。まさかの発言に老人たちは耳を疑い、ざわめきが一瞬にして広がった。中には、「その子は人質にされていたんだぞ!」とサトラのことを非難するものもいた。

「人質? 人質が必死に犯人の腕を握るかよ馬鹿野郎。こいつはずっと、あの女の腕を握ってたんた。離れたくないってくらいギュッとな」

 サトラが持っていた違和感の正体。それは子供が盾にされながら、デリツィアの腕を握っていたことだった。
 抵抗もせず、大人しくしているのはおかしなことではない。だが、銃をこめかみに突きつけられた子供が泣きもせず、犯人の腕を握るものなのだろうか。それに、普通なら犯人も振りほどこうとするだろうが、その素振りはなかった。サトラの目にはデリツィアが子供を抱き寄せているのではなく、子供がデリツィアの腕を引っ張って巻き付けているように見えていた。

「大方、そいつを掴んでなきゃいけない理由があったんだろ?」

 図星だろ?と言わんばかりにサトラが尋ね、皆の視線が右腕にしがみついた子供に集まった。

「もう、上手くいかないの……その通り、私が魔女だよ」

 少女は悪びれることなく答えた。サトラのことを見上げるその顔にはあのデリツィアと同じ、邪悪な笑み。ざわめきは更に大きくなり、老人たちは恐怖で顔を引きつらせ、サトラたちから距離を取るように後退りした。

「まったく。この人が撃たれたら人質に紛れて逃げよって思ってたのに……腕の悪いスナイパーさんているんだね」

 やれやれと首を振り、先ほどまで自分を盾にしていたデリツィアにあっかんべーと舌を出した。子供という疑われにくい外見を生かし、人質に紛れ姿をくらませる。サトラの考えた通りの言葉だった。
 恐らく、この魔女にはサトラたちと真っ向から戦う自信がなかったのだ。だから魔女らしく空を飛んで逃げることをせず、人質の振りをして車で逃走を図った。

「もう、いいもん。今度はお姉ちゃんの身体を使わせてもらうから」

 両手でしがみつく少女の指がグサリと全部サトラの右腕に突き刺さる。彼女の左手首には魔女たる証、紫色の魂珠のついた革のバングル。
 流れ落ちる真っ赤な血液と、襲い来る熱のこもった痛み。甘い痺れ。
 魔女の指から紫色の魔力光が身体の内部へと流し込まれていくのが僅かに見えた、

 ――……なるほどな。こうして中に自分の魔力を送り込んじまえば、あとは魂珠を光らせなくても掴んでるだけで大丈夫ってか。便利な力だぜ、クソ。これだから固有持ち(エクセプソルシ)は。

 と納得しつつ、咄嗟に振り解こうとしても、サトラの右腕がサトラの意思に従うことはない。僅かに震えるのみで、指の一本たりとも動かせなかった。

「もう遅いんだよ? お姉ちゃんの言った通り。わたしはわたしが掴んだものをわたしのものに出来るから……もう遅いの」

 もう遅い。その言葉通り、右腕の痺れは瞬く間に全身へと広がった。身体の末端からは次第に痺れすらも感じることが出来なくなりつつあった。
 サトラとて無抵抗なわけではない。送り込まれる魔女の魔力に対し、自身の魔力で何とか対抗しようとはしている。
 しかし、魔女とサトラでは魔力の量が違った。魔女の魔力を押し返すことが出来ずに押し込まれていく。ほとんどの魔力を首から上の防衛に回し、どうにか意識を保つのが精一杯。それでも視界は色を失いつつあった。
 朦朧とする意識の中で。
 劈くような耳鳴りに苛まれる中で。
 それでも何とか口を動かし、

「リディ……」

 サトラは相棒の名前を呼んだ。ネズミが鳴くだけで掻き消えてしまいそうなほどか細い声だった。
 その瞬間、空から金色の光が襲来しサトラの肩を貫通した。身体から大量の血飛沫を上げ、右腕がもげ落ちる。

「これで貸し①だかんね?」

 上空にて待機するリディアーヌが放った光の槍によって、サトラの肩は打ち貫ぬかれたのだった。
 右腕がもげ取れたことで、魔女からの魔力の流れが断ち切られ、激痛とともに戻ってくる自分の感覚。思わず左手で右肩を押さえたくなるほどの痛み。涙目になりながらサトラは歯を食い縛り我慢した。

「え……!?」

 味方によって腕をもがれるという異常な光景。もげた腕にしがみついたまま呆気にとられる魔女。時間にして僅か0.1秒にも満たない一瞬。サトラはその一瞬を逃さなかった。

「絶対離すなよ!」

 身体から離れ、重力によって落下し始める自分の右腕。つい先ほどまでサトラのものだったものにまだしがみついたままの魔女に向かって、サトラは魔力光を纏った左手を振りきった。

「嘘、普通自分を撃たせる?」
 サトラの行いに呆れる魔女。落下していく肉塊から咄嗟に身体を離し、サトラの左ストレートを交わして着地した。

「離すなって言ったろが!」

 交わされたとみるや、間髪を入れず右足を蹴り上げる。

「わたしに掴まれてもいいの?」

 サトラの蹴りを捕まえようと、魔女が両手を前に出して待ち構えていた。手のひらから迸る紫色の魔力光。

 ――くそったれ!

 舌打ちをしながら右足を緊急停止。捕まれてしまう前に軸足である左足で地面を蹴って前方へと飛び上がり、魔女を飛び越して距離を取る。魔力によって止血は終わり、サトラの右肩から血液が飛び散ることはない。

「何ボッとしてんだ! さっさと逃げやがれ!」

 呆気に取られたかのように立ち尽くしていた人質たちに命じる。今まさに戦いは盛り上がりを迎えるところ。無力な人質たちは邪魔でしかなかった。
 我に返ったかのか建物の中へと逃げ惑う人質たちを尻目に、

「殴る蹴るしかしないんだね、お姉ちゃん」

 魔女はニヤリと白い歯を見せた。彼女の周りには紫色をした魔法陣から現れた魔力光の球体が十数個も浮いていた。まるで衛星のようにグルグルと魔女の周りを回り始める。

「せっかくだし、わたしとあそぼ?」

 魔女が突き出した右手の平から放たれる紫色の光線。それを合図にするかのように、魔女の周りに浮いていた衛星からも光の槍が放たれ、次々とサトラに襲いかかった。
 魔女の手から放たれた初弾を魔力光を纏った左手で弾いて逸らし、次に襲い来る光の槍たちを屈んで避け、右に左に避け、横っ飛びするように倒れ込んで交わす。一瞬でも動きを停止させれば直撃を逃れられない光撃。サトラが間一髪のタイミングで交わし続けると、テラスにあったテーブルや椅子はあっという間に壊れ果てた。
 追尾性はなく、何かにぶつかりエネルギーを失うまで直進する魔女の魔力光。結果、サトラが交わした光線は流れ弾となって蜘蛛の街に襲いかかった。

「うわああああああああ!」

 開けた路地から情けない悲鳴が上がる。棒立ちで魔女の戦いを眺めていた運の悪いRAID隊員の眼前へと、流れ弾が迫っていた。恐怖で身体が縛り付けられてしまっているのか、もうおしまいだと目を閉じて震えるだけで、避ける素振りを微塵も見せない。
 しかし、光の槍が男を貫くことはなかった。上空から放たれた金色の光線によって、流れ弾は直前で相殺される。

「はいはーい! 危ないから下がっててねー!」

 呆然と空を見上げるRAID隊員に向かってウインク。上空にて待機するリディアーヌはありとあらゆる流れ弾を処理し続けていた。
 運の悪い人間の中には、先ほどリディアーヌに性的な嫌がらせをした連中もいたが、それでも彼女は平等に公平に魔法で救ってみせる。あんたたちがして来たことなんて気にする価値すらないと見せつけるように楽しく残酷に。

〈サトちん、こっちは大丈夫だかんねー?〉

 リディアーヌからのテレパシー。老人ホームのテラスにて魔女と対峙するサトラには、言われなくても心配するつもりなんてなかったが、これで真に気兼ねなく目の前のことに集中出来た。
 時計回り、あるいは反時計回りに軽快なステップを踏む魔女。楽しげに間断なく放たれる光の槍は、さながら洪水のようにサトラに襲いかかった。
 それらを全て、
 交わし。
 逸らし。
 弾き返し。
 少しずつ魔女との間合いを詰めながら、サトラは飛びかかるタイミングを計っていた。遠距離での攻撃方法を持たないサトラには、自身が矢となりて打ち貫く以外の選択肢はない。
ss 




















「見えてんだよ!」

 胸に向かって飛んできた紫色の光弾を、魔力光を纏った左手で弾き返し、迫り来ていた次弾と相殺。辺り一帯が目映い輝きで満たされると、その隙にサトラは地面を蹴り飛ばし、魔女の眼前へと一気に迫った。

「喰らえ!」

 左の拳を力強く握りしめ、魔女の顔面に向かって振りかぶる。
 刹那。魔女はニヤリと白い歯を見せ、両手を前に構えた。爪の先からは紫色の魔力光が電流のように走っていた。

「くっ!」

 このままでは掴まれてしまうと急停止。すると、グルグルと魔女の周りを回っていた衛星の一つがサトラの正面で止まった。

 ――しまっ!?

 危機を感じ、咄嗟に飛び退こうと足に力を入れる。が、不意を突かれた分、衛星から光線が放たれる方が早い。ありったけの魔力を着弾が予測される腹部へと回し、障壁を張るのが精一杯だった。おかげで穴は空かなかったものの、直撃を真逃れなかったサトラの身体は、くの字に曲がったまま勢いよく吹き飛ばされ、コンクリート製の壁に叩きつけられた。
 魔力でガードしたとは思えない威力にむせ混む。胃の中のものが逆流するどころか、口の中いっぱいに血液が流れ込んだ。が、それでもサトラは涙目になって歯を食い縛り、笑う膝を黙らせて立ち上がった。ペッと口の中に溜まった赤い液体を吐き捨てると、左手の甲で乱暴に口を拭う。こんなやつに負けてたまるかという意地だけがサトラを奮い立たせていた。

〈大丈夫サトちん!?〉
 
 箒で宙を舞うリディアーヌからのテレパシー。心配と驚きで目を丸くして、遠く上空からサトラのことを見下ろしていた

〈う、うるせぇ! 擦っただけだ!〉
〈いや、絶対直(ちょく)ってなかった?〉

 強がりなのは明らかだったが、サトラの安否を確認すると、この調子ならまだ大丈夫だよねとリディアーヌはホッとしたように笑った。

「へー、まだやるんだ。お姉ちゃんの身体、丈夫だね」

 サトラのことを馬鹿にするかのように、魔女が大袈裟にゆっくりと拍手を送る。余裕からなのか、安全志向なのか、ふらふらになりながらも立ち上がったサトラに近づこうとはしない。サトラの様子を見極めるためなのか、魔女からの攻撃は止まり、回り続けていた衛星もいつの間にか静止していた。

「……てめぇが雑魚いだけだ、馬鹿野郎」

 血で赤く染まった歯を見せつけ、声もなく笑うサトラ。魔女が自分のことを見極めてくれているおかげで、サトラにも現状を見極める時間があった。
 魔女の攻撃が擦っただけというのは強がりだが、身体のダメージはそこまででもなかった。何本かのあばら骨が粉々に砕け散っているものの、魔力によって痛みを軽減しているので、行動に支障はない。
 問題は残された魔力の量だ。
 ほとんどの魔力を防御に回してしまったため、自分の身体にはほんの少ししか魔力が残されていない。あと一回魔女に攻撃出来るかどうか。その程度の魔力しか残されていないと、サトラには拳を握る感覚でわかった。
 普通の魔女であれば魔力の量に困ることはない。呼吸によって取り込んだ窒素を魔臓と呼ばれる魔女にしかない臓器で魔力へと変換しているからだ。呼吸=魔力補給なので、魔力の量はほぼ無限。
 しかし、普通の魔女ではないサトラは普通の魔女と魔臓の位置が違う。普通の魔女と同じようには魔力を補給することが出来なかった。

 ――魔力は……あと一回くらいか。……上等じゃねぇか。

 最初からそのつもりだったと虚勢を張り、魔女のことを睨みつける。魔力の限界よりも、早く魔女をぶっ飛ばしてやりたいという感情の限界の方が近かった。

 ――……けど、掴まれたらアウトってのは面倒くせえな。

 真に問題なのは、ここまで魔女に有効な攻撃手段を見出せていないということ。
 普通の魔女ではなく不完全な魔女であるサトラには、魔力光を纏わせて攻撃するか、極至近距離のものを凍らせる程度のことしか出来ない。どちらも近接攻撃。掴まれてはいけない相手と戦うには相性がいいとは言えなかった。
 遠距離のスペシャリストであるリディアーヌに手伝ってもらえば簡単に解決する問題だったが、そんなことは絶対にしたくなかった。他人に手伝ってもらうには、これまで受けた屈辱は大きすぎた。自らの手でケリをつけなければ、自分の中でケリがつかないような気がした。
 何かいいアイデアはないだろうか。魔女の攻撃がいつ再開してもいいように両目でその姿を捉えながら、頭の中で掴まれない方法を考える。
 すると、

 ――……あれか!

 視界の右端、壊れたテーブルや椅子の破片に紛れて使えるものが転がっていることに気づいた。少し距離はあるものの、魔女の攻撃を回避するついでに回収することが出来れば、その物体を何に使うのか勘付かれることはない。


連載六話目 
――――――――――――――――――――




 完全に抜け出され、後手後手に回された追跡捜査。
 オルレアン特別治安維持局だけでなく警察関係者等、誰もが捜査の難航を予感し、闇の中に逃げ消えるという最悪のケースすら想定させられた。
 が、光明は予期せぬところから現れた。
 警察の目を掻い潜りパリ市内に進入した被疑者達に、たまたま飲酒運転の対向車が衝突するという事故が発生。そこにたまたまパトカーが居合わせるという不運が起こる。
 追われる身であるため、当然事故の処理に付き合うわけにはいかない。犯人達が車を捨ててその場から逃走すると、不審に思った警察官から本部へと連絡入った。
 こうして、偶々の積み重なりにより、被疑者達の居場所がパリ近郊の高層ビル街ラ・デファンスと判明し、サトラ達魔女小隊に出動要請がかかったのだった。

 夕方。午後四時。
 出動要請に従い、箒で空を飛び、ランプィエの森を抜け、ベルサイユ上空を通って現場へと向かうリディアーヌの背には、いつものように横乗りするサトラの姿もあった。目を瞑り、物言わず静かに寝息を立てる。その表情は、口の悪さが想像出来ないほど穏やかなものだった。
 
「……ねー、サトちん。そろそろ着くよ?」

 後ろを向き、リディアーヌが身体を揺する。サトラはゆっくりと自分の感覚を確かめるかのように瞼を開けた。

「……どれくらい寝てた?」
「んー、十分くらいかなー? よく寝れた?」
「……まぁ、夢見るくらいにはな」
「夢? ってことは、熟睡ってことなのかな? よくわかんないけど、うん、なら、よかった」

 嬉しそうに白い歯を見せるリディアーヌ。「リディがちゃんと運ぶから、サトちんは寝てていいよ」と提案をしたのは彼女だった。
 魔力で身体能力強化している魔女にとって、大事なものは肉体よりも精神の健康。屋敷での一件を気遣い、僅かでも心休める時間をくれたのだ。
 正直な話、自分が受けた屈辱で腸が煮えくり返り、眠るような気分ではなかった。しかし、サトラ自身それが大事なことだともわかっていた。目を閉じて眠りにつくまで何も考えないように心がけると、思ったよりもすぐに意識を失った。どうやら無自覚な疲労が溜まっていたらしい。睡眠をとる前よりも頭がスッキリとしている気がした。

「で、どんな夢見てたのー?」

 何気なくリディアーヌが尋ねると、

「……別に何でもねぇよ」

 サトラは仏頂面でそっぽを向いた。
 些細な質問。しかし、目覚めの爽やかさは一瞬でかき消える。白い包帯の巻かれた額の下、眉間には僅かな皺が寄った。

「えー。だったら教えてくれてもよくなーい? 何でもないんしょ?」

 秘密はその存在自体秘密であるべきだ。今のサトラのように目の前で秘密を作ってしまうと、相手は秘密にされる以前より興味を持ってしまう可能性がある。そして、リディアーヌはそういうタイプだった。
 これは何か面白いことになりそうだと感じ、ニヤニヤを隠さないリディアーヌ。しかし、いつまで経ってもサトラがうんともすんともしないと、今度は不満そうに頬を膨らませた。

「ぶー。サトちんのけちんぼ」

 シカトされてしまったことに愚痴を言い、前を向き直す。こうなったらテコでも動かないということを、リディアーヌはよく知っていた。
 サトラはリディアーヌの背中を見つめ、仏頂面のまま腰のボトルへと手を伸ばし、チョコレートを口に運ぶ。
 サトラの見た夢は、懐かしく、幸せで、そして、悲しさと情けなさに満ちた過去の記憶だった。

 幼い頃、サトラは魔女ではなかった。
 少なくとも、本人も周りも魔女だとは思っていなかった。
 優しく責任感のある父の子供として生まれたサトラ。
 姉や妹とともに両親から限りのない愛情を注がれ、山奥の田舎で幼少期を過ごした。
 決して裕福な家庭ではなかったが、父の倹約術と母の魔法のおかげでサトラ達は何の不自由なく暮らすことが出来た。
 尊敬出来る父。
 しっかりものの姉と可愛らしい妹。
 気の合う友達。
 優しい大人達。
 こんな幸せな時間がずっと続いていけばいいのに。
 サトラはそう願い、実際にその願いは叶い続けるように思われた。
 あの時までは。
 サトラが魔女になるあの瞬間までは。
 サトラが人間から魔女になったあの日。
 サトラはほとんどのものを悉く失った。
 尊敬出来る父も。
 気の合う友達も。
 優しい大人達も。
 これまで日常としてあったものが、自分が魔女になったせいで失われていく。
 軽蔑と嘲笑だけが耳に届き続け、危害は自身だけでなく姉や妹にも及ぶ。
 それは父譲りの責任感と真っ直ぐな心を持ったサトラには受け入れがたく、消えない傷を残すには十分だった。
 自責の念と、自分は悪くないと叫ぶ意識の狭間。
 日に日に荒んでいく心の中で、魔女を憎む魔女という現在のサトラが生まれた。

 ――……もしあの人が「普通の人間になりたくないか?」そう言ってくれなかったら。
 
 思い起こされた過去の記憶。ついifの可能性について考えてしまう。
 いったい自分はどこで何をしていただろうか。少なくともこの世界にはいないだろう。

「……もしかしたら、会わなかったのかもな」

 誰に届けるつもりなく、サトラが何気なくポツリと漏らすも、

「え? 何が?」

 中途半端に聞こえてしまったのか、リディアーヌが前を向いたまま尋ねた。

「俺が」
「誰と?」
「……お前とか。色々」

 ちゃんと説明するには、どういう夢を見たのかも説明しなくてはならない。なので、多くの要素を差っ引いて簡単に答える。すると「ふーん」と生返事が返ってきた。

「よくわかんないけど、リディに出会えて嬉しかったり?」
「……まぁ、悲しくはねぇな。今のところはだけど」

 自分の言動を茶化されてイラッとすることはあるが、退屈しのぎにはなるので不思議と後に残る不愉快さはない。何より、リディアーヌがいなければこんな風に空を飛んで現場に向かうことは出来なかった。
 だから悲しくはない。事実を述べたはずだったが、

「もー、素直じゃないんだから」

 後ろから僅かに見えたリディアーヌの表情は何処か嬉しそうだった。もしかしたら何か勘違いをしているのだろうか。そう思うも、わざわざ否定するのも面倒。なのでサトラは放っておくことにした。

 ――まぁ、悪くはねぇよな。この世界も。

 そんなことを思いながらオレンジに染まり始めた空を眺めていると、

「じゃ、降りるよー?」

 少しずつ飛行高度が下がっていったので、サトラは余計なことを考えるのをやめた。移動の終わりは任務の始まり。目の前のことだけに集中しなくてはならない。
 無数に立ち並ぶビルの合間を、リディアーヌの箒がゆっくりと降りていく。未だ古き良きヨーロッパの町並みを体現しようとするパリとは違い、さながらアメリカのニューヨークを思わせる高層ビルの森でラ・デファンスは成り立っていた。
 パリには景観や伝統ある建築物を保護するため、多くの建築規制がある。それ故に、著しい経済成長に伴う需要がありながらも、パリには高層ビルを建てることが出来なかった。この問題に対し、一九五八年、政府はパリ近郊で規制の緩いラ・デファンスを再開発地区に指定することで解決を図った。ラ・デファンスには多くのビルが次々に建設され、美しさを守るためにビルを押しつけられた街は、花の都パリの隣で今もなお空に向かって成長を続けていた。

「到着っと」

 無数の警察車両によって封鎖された道路へと、足音を立てずに降り立つ。辺りを見回してみると、ビルの中や屋上、建物と建物の間にある路地、車両の陰など、先に配置についていたRAID隊員達から視線を集めていることに気づいた。 

「……何かめっちゃ見られてなーい?」

 リディアーヌの声にサトラも軽く周囲を見回してみる。RAID隊員達から二人に向けられる視線はどこまでも冷めていて、まるでイブラヒム邸での失敗をサトラ達の責任だと押しつけるような雰囲気が彼らにはあった。仲間がやられたのは、魔女であるお前らのせいだと。

 ――……糞が。

 爆弾を発見し、逃げるように警告はした。それでもRAID隊員達は逃げなかったのだ。何も知らないくせにと文句をつけたくなるが、そんなことをしても何にもならないとサトラはよく理解しており、そのせいで余計に苛々がつのった。

「……さぁな。ちょっと指揮官ところに顔出してくっから待ってろ」
「うん。殴っちゃダメだかんね?」
「しねぇっつの。ガキじゃねぇんだからよ」

 余計な念押しだと言い返し、指揮官がいると聞かされているトレーラーの方へと向かう。確かに周りからの視線は不愉快だったが、サトラ達二人が不信感に満ちた目で見られることは初めてではない。二人は魔女であり、嫌悪の目こそ通常だとも言えた。
 黒いトレーラーのドア前には重装備のRAID隊員が立ち塞がっており、歩み寄るサトラのことを睨むような目でジロリ見た。
 耳につけた無線機で、

「オルレアンの魔女が来ました」

 と報告する隊員。
 返ってきた指示に頷いて返事をすると、サトラに向かって、「入れ」と顎で命じ、ドアの前から一歩横にずれた。
 傲慢な態度。敵意のある目つき。内心サトラはカチンとするものを感じたが、ガキじゃないとリディアーヌに言ってしまった手前、この野郎今度会ったら絶対にぶっ飛ばすとガンをつけるに止め、トレーラーの中へと向かう。
 お互いにガンをつけ合いながらドアを開け、中へ。トレーラーの中は局の情報処理フロアをそのまま詰め込んだような設備になっており、パソコンや小難しい計器と睨めっこする数人のスタッフの姿があった。

「失礼します。ロムルスのサトラ以下オルレアン特別治安維持局魔女小隊、着任致しました」
 右手で敬礼。正面の席にどっしりと構え、インカムで指示を出している人物を指揮官だと判断し、挨拶をする。

「うむ。ご苦労。部隊長のアルマン・パトリス・ドンディーヌだ」

 サトラのことを真っ直ぐに見据え、渋く太い声が返ってきた。
 深く刻まれて消えない眉間の皺。年齢を感じさせる無精髭。熊を連想させるほど立派な体躯。右目の下から顎まで伸びた大きな傷跡が歴戦の強者感を主張。
 敬礼していた右手を下ろしつつ、外見からアルマンは厳格な隊員なのだろうと判断。サトラは気づかれないようミリ単位で俯き、ミリ単位で目を逸らした。
 経験上、軍人や軍人然とした人物の方がサトラ達に反感を抱いている傾向にあった。どうせまたグチグチ言われるのかと思うと、自然と視線は下がっていった。

「既に聞いていると思うが、犯人グループは一般人お断りの老人介護施設に立て籠もっている。人質をとってな」
「一般人お断り……?」

 聞いていない情報に疑問符が漏れる。
 パリ近郊で事故に遭った被疑者達は車を乗り捨て、ラ・デファンスの老人介護施設に侵入。無力な老人達を盾に籠城を開始したという話は聞いている。が、そこで介護を受ける人達がどういう人間なのかは一言も聞いていない。

「ああ。あそこにいるのは金持ちか政治家、そのどちらかの関係者だけだ。俺やお前の安月給じゃ、一泊するのが関の山さ」
「一泊って……」

 豪快に笑うアルマン。老人介護施設って金さえあれば老人じゃなくても泊まれんのか?と思いつつも、そこまで大事な部分ではないので尋ねずにおく。

「……警備員は殺されたんですか?」
 念のために確認。高級ホテルもかくやというのなら、当然警備員がいてしかるべき。そして、警備員がいるにも関わらず、被疑者達に侵入を許したというのなら。争いに敗れた可能性が限りなく高い。

「犯人達が言うには、銃を見せつけて危害を加えるつもりはないと説明したら、簡単に従ってくれたそうだ。どこの警備会社かは知らんが、よくしつけが行き届いている。警備員の装備は所詮警棒と催涙スプレー程度のもの。下手に抵抗すれば余計な犠牲を払うだけでなく、犯人達に逆上される恐れがあるからな」

 感心したように述べるアルマンの言葉を聞きながら、情けねぇ奴らと内心呆れる。同時に、死者が出ていないことにホッとした。サトラとて、これ以上誰かが傷つく姿を見たいとは思っていない。……犯人達を除いて。

 ――絶対ぶっ飛ばしてやっから待ってろよ。

 身体の横に下ろした両の拳を確かに握る。
 忘れ得ぬ、忘れてはならない憎しみ。
 屋敷ごと爆殺されかけ、一瞬でも自分に魔女としての実力があればと血迷わせた屈辱。
 晴らさないでいられるほどサトラは物わかりのいい若者ではなかった。
 サトラが心の内でみなぎる戦意を更に滾らせていると、

「……一億ユーロ。それに逃走車」

 不意にアルマンは告げた。

「これが犯人達の要求だ」

 耳を疑う言葉に思わず顔を上げた。まさか要求を飲むつもりなのか? 露骨に嫌な顔をしながら、アルマンと目を合わせる。すると、彼はようやくこっちを見たなと言わんばかりにニヤリと広角を上げた。

「もちろん要求を呑むつもりはない。交渉は続けているが、現在近くのビルに狙撃班を手配させている」

 要求を無視すると聞き、そう来なくっちゃとアルマンのことを見直す。反面、自分とリディアーヌに何が命じられるのかサトラにはわかってしまった。
 余計なことは何もするな。
 十中八九これだと思った。局の人間以外からの命令は九割九分これだった。出来るだけ魔女であるサトラ達に関わって欲しくないのだ。魔女の力を借りて魔女に対抗するくらいなら死んだ方がマシ。大袈裟に言えばそのような風潮が確実にあった。
 今回もどうせそうなのだろうと高をくくる。
 が、

「お前達には好きに動いてもらって構わない」

 アルマンはまたも耳を疑う言葉を発した。これにはサトラも「え……?」と困惑を隠せなかった。好きに動いて構わない。想像していた言葉と正反対のものだった。

「犯人グループに魔女がいるとの報告はあったが、魔女がどこにいるのか把握出来ていないのが現状。魔女の存在が確認出来次第、そちらの判断で行動してくれ」

「……いいんですか?」

 疑わずにはいられない。局の人間以外からは初めて聞く言葉だった。

「餅は餅屋と言うからな。専門家に任せるさ。ただし、狙撃が終わるまでは派手な行動を控えてくれ。要求を飲む気はないが、人命第一であることに変わりはない」

 真っ直ぐ、サトラから視線をそらさない。初めて会うというのに、その目には相手への信頼と、自分達を信じて欲しいという想いが見て取れた。
 にわかには信じられなかった。このRAIDにこんな人がいるだなんて。
 胸に温かいものを感じ、信頼に応えなくてはならないと思わせるものがあった。

「……了解しました」
「うむ。健闘を祈る」

 失礼しますと敬礼をして、ドアへと手を伸ばす。

「あ、そうだ。サトラ」
「はい?」

 何かに気づいたアルマンに引き留められ、ドアに手をかけたまま振り向く。

「……ジェロームはどうだった?」
「ジェロ……?」

 聞き慣れない男性名を耳にし、思わずサトラ眉間に皺が寄った。

「奴と俺はパリ市警の同期でな。俺がRAIDに、奴がGIPNに入るときに約束をしたんだ。俺達でこの国の治安を守ろうと。青臭い約束を。まさかGIPNがRAIDに合併されるなんてあのときは思わなんだな」

 黙ってアルマンの話に耳を傾けながら、誰のことを言っているのか推測を始める。
 同期ということはアルマンと同年代。二人してそんな約束をするほどなのだから、アルマンが部隊長になっているように、ジェロームもそれ相応の地位に就いていても不思議ではない。
 
 ――……もしかしてあいつか?

 脳裏に一人の姿が浮かぶ。お前達の力は借りんとばかりに、イブラヒム邸でサトラ達を後ろに下がらせようとした隊長と思わしき男。

「自分にも他人にも厳しい男で、GIPNの頃から部下に反感を持たれることがあったと聞いている。奴の融通の利かなさには俺も随分と参らされたもんだしな。まぁ、あの口うるささも、もう二度と味わえないと思うと、少し寂しいものもあるが……」
 
 昔を懐かしむように語るアルマンの目は、僅かに赤くなっているように見えた。
 もしあの隊長格の男がジェロームだとしたら。サトラはジェロームのことを全くよく思っていない。それに、あの屋敷の中でサトラは彼と別行動を取っていたので、アルマンから聞くまで彼が死んだということすら知らなかった。
 けれど。旧友のことを想うアルマンのことを考えると、何となく正直に答えるのは憚られた。
 
「……近くにいたわけではないのでわかりませんが、彼は最後の最後まで勇敢に指揮を執っていました」
「見ていなかったのにわかるのか?」
「はい。俺は魔女なんで」

 小さな嘘をついてトレーラーを降りる。ジェロームの近くにいた人物と視界共有をしていたら別だが、そんなことはしていなかったサトラに彼の最後を知るよしはない。故に、魔女だからわかったというのは完全に嘘。真相はわからない。
 しかし、ジェロームが最後のときまで厳格な指揮官だったというのは不思議と嘘ではない様な気がした。少しずつ信頼の生まれつつあるアルマンから友人と聞いたからか。実際に厳しい口調で後ろに下がれと命令されたからか。

「……まぁ、ムカつく野郎だったのは変わんねぇけどな」

 トレラーを降り、後ろ手にドアを閉めるなりボソッと漏らす。それはそれ、これはこれ。ドアの脇に立っていた、トレーラーに乗るまでガンをつけ合っていたRAID隊員に聞こえてしまったようで、何だこいつは?と訝しげに見られた。てめぇは関係ねぇよ馬鹿野郎と、ガン無視してリディアーヌのことを探す。
 すると、ビルとビルの合間。細く暗い路地の入り口。黒いマスクを脱ぎ、素顔を晒した四、五人のRAID隊員に囲まれるリディアーヌを見つけた。

「リディ、何やってんだ?」
「あ、サトちん」

 声をかけながら歩み寄ると、リディアーヌはサトラのもとに小走りで寄ってきた。その顔は怖いもの知らずなギャルのものではなく、僅かに引きつり怯えが見える。

「お、もう一人きたか。そっちのあんたもサービスしてくれよぉ」

 リディアーヌを囲んでいた男の一人。特殊部隊の隊員にしてはやせ細った男が、下卑た笑みを浮かべながら言った。

「あん? 何言ってんだてめぇ?」

 サービス? 何のことだ? 薬でもやってんのか?と正気を疑うように尋ねる。

「しらばっくれんなって。そんな綺麗な顔してんだ、おぼこってわけじゃあるまいし」

 やせ細った男は舐めるような嫌らしい目でサトラの顔を見た。不意に、他の男達もまるで娼婦の品定めをするかのように脚や胸の辺りを見ていることに気づく。

 ――……サービスってそういうことかよ。糞野郎が。

 理解すると同時に嫌悪。アルマンに感じた温かいものが一瞬で消え去り、気分の悪さで胸がいっぱいになった。
 もしかしたら、リディアーヌはずっとこの気色悪い視線に晒されていたのだろうか。そう考えれば、あのリディアーヌが僅かに怯えているのも合点がいった。

「ふざけんな、誰がそんなことするかよ。大体、今は任務中だぞ」
「いいじゃねぇかぁ。こう待たされちゃ溜まるもんも溜まっちまうっての」
「はぁ? んなもん知るか馬鹿野郎。……おい、行くぞ。リディ」
「う、うん」

 リディアーヌの手を引っ張り、男達の前を去ろうとする。自分達は魔女をどうにかするために来たのだ。くだらない相手に付き合う時間なんてない。

 ――何でアルマン隊長の部下がこんな屑どもなんだよ。

 呆れと怒り、同情。様々な感情を覚えながら男達の目の前を通り過ぎる。サトラの後ろを、腕をひかれながら俯きがちにリディアーヌがついてきた。

「あーあー。ジゼル副局長ならサービスしてくれんのによぉ」

 つまらなそうに。当てつけのようにやせ細った男は言った。

「……なんだと……?」

 リディアーヌの前を歩くサトラの足が止まる。これ以上は時間の無駄だと、全てのヤジを無視するつもりのサトラだったが、我慢出来ず、咄嗟に振り返る。
 それは聞き捨てのならない言葉だった。

「みんな言ってるぜ? てめぇのところの副長はお偉方のもんをしゃぶって回ってたってよ」

 ギャハハと下卑た笑い声をやせ細った男が上げ、

「なるほどなぁ。だから、あの年で副長に抜擢されたってか」
「おいおいマジかよ。だったら、隊員としてあんたも上司に倣った方がいいんじゃねぇか?」

 と周りから悪質な野次が飛ぶ。
 サトラやリディアーヌが性的な嫌がらせを受けることは初めてではない。サトラのモデル顔負けの体型と、露わになったリディアーヌの長い脚、そして二人の美しい顔がそうさせるという部分もある。が、一番の要因は現場に女っ気がないことだ。
 警察官や憲兵、軍人にも女性はいるが、一般の職業に比べ男女比率は偏った部類に入る。最前線を担当する部署や、特殊部隊になると、その比率は更に偏る。
 そんなところに容姿端麗な二人が普段着とほぼ変わらない軽装で仕事場に現れれば。飢えた狼達には刺激が強すぎる。また、緊迫した空気は性的欲求を高める傾向もあるので、二人の存在は目に毒と言っても過言ではなかった。
 故に、意外と性的な煽りが苦手なリディアーヌは置いておくとして、サトラはこういった野次を飛ばされることに慣れている。胸の内はともかく、涼しい顔であしらえるようになったつもりだった。
 だが、今のサトラの表情はクールとはほど遠い。まるで怒り狂う猟犬のように歯を剥き出しにして食い縛っていた。血走った眼は呪い殺さんとばかりに男達を睨みつけていた。
 自分のことではない。
 上官であるジゼルへの中傷。
 そんなくだらない噂が出回っているという事実がサトラには許し難く、堪え難いものだった。

「……いいぜ、おフランス野郎ども。一列に並びやがれ……! てめぇの粗末なもんを噛み切られてぇってやつは一人残らず逝かしてやる……!」

 中指を突き立て、睨み殺す。地獄の番犬も道を譲りかねない激憤。
 男達の顔から下卑たものは消え、顔を引きつらせながら後ずさり。サトラの怒りに満ちた表情には、本当に噛み千切られかねないと思わせる説得力があった。

「お、おい。も、もう行こうぜ」
「あ、ああ……」

 蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく男達。それを見ながら、サトラは大きく舌打ちをした。

 ――だったら最初からちょっかい出してくんじゃねぇよ! 殺すぞ!

 男達の姿が見えなくなっても怒りは収まらず、眉間には深々と皺が刻まれていた。

「……もー、ダメだよサトちん。あんなはしたないこと言っちゃ」

 茶化すようにリディアーヌが言う。男達が去ったおかげか、少しホッとしているように見える。

「は? 売られた喧嘩を買ってやっただけだ。悪いのはあっちだろが」
「そうだけどさぁ……」

 臨戦態勢のまま反論をするサトラに呆れながらも、

「……ま、でも、ありがとね」

 リディアーヌは消え入りそうな声で感謝を述べた。
「は? 何がだよ?」

 感謝されることをした覚えはない。むかつく奴がいたからキレただけで、誰かのために何かをしたわけではない。
 だというのに。

「べっつにー。ほら、さっさといこ?」

 明るくそう誤魔化して、両手でサトラの背中を押す。歩くたびに金髪のサイドテールがぴょこぴょこ揺れ、リディアーヌは嬉しそうに目を細めるのだった。

hp


























・これまでのものにはこちらから。

連載一話目
連載二話目
連載三話目
連載四話目
連載五話目
連載六話目
――――――――――――――――――――


 局の情報処理フロアは慌ただしさを増していた。
 道路の至る所につけられた監視カメラからの映像を分析するもの。
 車種と、これまでの走行距離から、燃料がどれだけ残っているのか推測するもの。
 地図を広げ、周辺地理から進路を予測するもの。
 予測される進路から、どこの道路を封鎖するのか話し合うもの。
 出動した局員に逐一情報を伝えるもの。
 屋敷から逃走した車両を追いかけるために、情報処理班は一丸となって捜査に励んでいた。まるで働き蟻のようにデスクの間を行き来する局員達。女王蟻たるジゼルが腕を組み無言で見守っている。
 魔女でありながら情報処理班に配属されている曉梅も、他の局員と同じく目が回りそうな忙しさの中にいた。その表情には大人顔負けの冷静さが浮かんでいたが、何か気がかりなことがあるらしく、三角形の猫科の耳が落ち着きなくピクピク動いていた。
 もう何度目かわからないが、一瞬心配そうな顔をして廊下の方をチラリ見やる。すると、局へと帰還していたサトラとリディアーヌがジゼルの方に向かっているのが見えた。曉梅はいてもたってもいられない様子でデスクを離れる。

「サトラさん。リディさん」

 二人の名前を呼び、早足で近づく曉梅。普段通りの態度を装うものの、その目は今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうなほど潤いで満ちていた。

「ただいま、曉ちん」

 そんな曉梅の頭をいい子いい子とリディアーヌが優しく撫でてやる。横に並び立つサトラには、暗く赤い髪の上から真っ白い包帯が巻かれ、俯きがちに口を固く結んでいた。

「大丈夫ですか……?」

 魔女といえども怪我はする。頭を怪我すれば危険なのは普通の人間と変わらない。目を潤ませながらサトラのことを見上げ、曉梅が尋ねる。すると、代わりにリディアーヌが人を安心させるような笑みで答えてくれた。

「リディが治療してあげたから大丈夫だよ。かすり傷だったしねー」
「え……? ソフィア先生は……?」
「寝てた。こんなんで起こすなって怒られそうだったから、ね」

 苦笑いを浮かべるリディアーヌ。軽傷であることにホッとしたのか、曉梅は少し唇を尖らせて「いたいけな子供を心配させないでくださいよ」と拗ねるように漏らす。
 二人のやりとりを尻目に、サトラはおもむろに歩み寄るジゼルのことを神妙な面持ちで見つめていた。何も言わず、二人は目を合わせたまま瞬きもしない。

「……副長。すみませんでした」

 重みを感じさせるゆっくりとした速度で、軽く頭を下げる。サトラの謝罪を受けてなお、ジゼルはまだ一言も発しない。

「ちょ、何で? サトちんは全然悪くなくなくなーい? サトちんがいなかったら赤ちゃんだって助かんなかったんだよ?」
「そ、そうですよ。サトラさんがいなかったら、RAIDの被害も……」

 あのサトラが頭を下げた?とばかりに驚き、普段小馬鹿にしてからかっているリディアーヌと曉梅が咄嗟のフォローに入る。無機質な表情のままのジゼルの眼前で、サトラは厳しい顔をし続けていた。
 局に帰還してからずっと。
 リディアーヌが医務室で治療をしてくれている間もずっと。
 傷口にしみることで定評のアルコール消毒液をどばどばかけられている間もずっと。
 サトラは同じことを考え続けていた。
 悔しさと情けなさ、そして確かな怒りがサトラの顔を固く険しいものにしていた。
 あのとき、あの瞬間。
 もし、爆弾の前にいたのがリディアーヌだったら。
 炎に飲み込まれた屋敷と阿鼻叫喚の人間たちを見て、サトラはそう思わずにはいられなかった。
 リディアーヌだったら、あの厨房ごと氷付けにすることが出来たかもしれない。そうすれば起爆装置が作動することはなく、爆発は起きなかった。
 サトラも魔法で何かを凍らせることは出来る。しかし、サトラが確実に凍らせることが出来る範囲はそこまで広くはない。流し台の下にあった爆弾なら問題なく凍らせることが出来たが、爆弾があれで全てだった保証はなく、厨房内を探し回る時間はなかった。
 魔力は肉体ではなく精神で使役するものだ。故に、一瞬でも出来ないと思ってしまったものは魔法でも絶対に叶えることが出来ない。
 だからサトラは避難した。赤子を抱きしめ。一心不乱で。
 結果としてサトラの判断は間違っていない。あれだけの大きさの屋敷が一瞬で燃え上がったのだ、流しの下にある爆弾だけでああはならない。
 自分の判断は間違っていない。
 自分が出来る最善のことをした。
 それは紛れもない事実だった。
 が、事実であるが故に、こうも考えさせる。
 自分がもっと魔女として優秀であれば。
 魔力の使い方に長けていれば。
 そう思わずにはいられなかったし、こんな風に考えてしまう自分が許せなかった。

「……死傷者十一名。重軽傷者十三名。計二十四名。RAIDボルドー部隊は今回の事件で隊員の過半数を失うことになった」
 サトラの表情にも、リディアーヌと曉梅によるフォローにも何の興味を示さず。ジゼルは淡々と事実だけを告げた。
 フランスには凶悪事件を担当するRAIDという特殊部隊がある。二十一世紀初頭まで担当範囲はパリや極一部の主要都市に留まり、それらの場所以外で起きた凶悪事件にはGIPNと呼ばれる特殊部隊が対応していた。
 2015年、指揮系統の統一のためGIPNがRAIDに統廃合。その際にGIPNが保有していた七つの地方部隊も廃止されることになったが、治安の変化に伴い現在では復活、国内九つの地域にまで拡大された。ボルドー部隊は、ボルドーのあるアキテーヌ=リムーザン=ポワトゥー=シャラント地域を担当する部隊だった。
 三十五歳以下の警察官から志願を募り、厳正な書類審査でまず約百名にまで選抜。その後行われる厳しい選抜試験を通過した約四十名が各地域に配属されるという少数精鋭方針。ボルドー部隊は三十二名で構成する部隊であり、二十四名の欠員は活動を不可能にさせるには十分すぎる問題であった。

「そして、物的証拠だが……恐らく何も残らないだろうな」

 フロア中央にあるモニターの一つを見やりながらジゼルは告げる。未だに炎を噴き上げる現場の映像。放水を行い、消防隊員が必死の消火活動を行っているものの、火の勢いが衰える様子は微塵も見えず、全てを燃やし尽くすまで消えることはないように思えた。

「多くの隊員を失い、押収出来たはずのものは焼失。おまけに、犯人グループには逃走を許す、か……」

 そのおかげで、今も情報処理班は尻拭いに追われている。
 ジゼルの声には落胆の色すら見えず、ただただ淡々としていた。それが余計に突き放しているかのような印象を与えさせる。サトラだけでなく、リディアーヌや曉梅の表情も神妙なものに変わっていった。

「現在犯人グループを捜索中。監視カメラの映像から推測すると、パリ方面に向かっているそうです」

 視界共有で情報処理班の主力を担う曉梅の途中報告。感情を押し殺しているかのようなポーカーフェイスとは対照的に、申し訳なさそうに伏せた猫科の耳が、後手後手に回されていることを表していた。

「……収穫はちゃんと魔女がいるってわかったことくらいかなん?」
「はい、リディさんの言う通り。……ですが、おかげで今度は堂々と行動することが出来ます」

 今回の踏み込みでの収穫はたったのそれだけ。しかし、これで魔女の逮捕という大義名分が生まれた。明確にオルレアン特別治安維持局の案件となり、誤認の可能性がなくなった。

「だが、魔女が誰なのかはまだわかっていない」

 そう言ってジゼルが近くにいた局員に目で指示を出す。フロアにある一番大きなモニターに事件当時の映像が流された。屋敷を取り囲み、車庫の前に待機していた警察からの映像だった。
 工作班が車庫をこじ開けるため、工具でシャッターに穴を開けていると、突如として紫色の魔力光が放たれた。紫の光は車庫ごと、シャッターの前にいたRAIDの工作班ごと、車庫の前を封鎖していたパトカーを吹き飛ばされる。工作班の人間はバラバラに拉げ、真っ赤な塗料となって地面に染みを作る。衝撃により猛烈な勢いで横転するパトカーは凶器となりて襲いかかり、警官たちは悲鳴を上げながら避難する。この動画の撮影者は少し離れた場所にいたらしく、映像はほぼ乱れることなく車庫の内部を写していたが、犯人たちはシャッターが壊れた瞬間から既に赤いワゴン車に乗っていたため、誰が魔女であり、誰が魔力光を放ったのかを判別することは出来ない。

「でもさー……あ、ちょっと止めて?」

 リディアーヌのお願いで映像が止まった。ちょうど赤いワゴン車が発進する瞬間で、乗車する全員の姿が明確に見えていた。

「あのサングラスの人が魔女なんじゃないの?」

 最後部にて、不気味な笑みを浮かべる女のことを指差し、ジゼルに尋ねる。

「デリツィア・イルダ・パローロ。イタリア系フランス人。三年前までリースの教会に修道女として勤めていたが、不認魔女の疑いをかけられて教会を追い出されて以来、消息がつかめなくなっていたそうだ」
「何それ、超真っ黒じゃん! ……あの子供は?」

 今度は、最後部に座る、頭に麻袋を被せられた人質を指差す。

「見ての通り詳細はわからんが、どうやら人質だと思われる。恐らくあの赤子のようにどこかから攫われてきたのだろう」

 人質にするために攫われたというジゼルの解釈。サトラの頭に自分が救った無垢で明るい笑顔が浮かぶ。くだらない理由で小さな命が失われていたかもしれないという怒りで、無意識に拳を握りしめていた。

「もしかしたら、奴らが売っていたのは薬物だけではないのかもしれん」
「……? どういうことですか?」

 重苦しい事実に曉梅だけが疑問符を漏らし、リディアーヌは気まずそうな顔をして結んだ髪の毛先を指で遊んでいた。

「……人身売買ってことっしょ」
「……ゲスの極みですね。拍手してさしあげたいほどです」

 曉梅が冷め切った声で吐き捨てる。局で働いていれば、その仕事の性質上、非道を目にすることは多々あり、彼女も幾度となくそういった事件を捜査してきた。しかし自分と同じ小さな子供が犠牲になっているという事実に、瞳からは軽蔑の意思が感じられた。
 そんな曉梅の姿を横目で見るサトラの両拳から、ミシ、と小さな音が鳴る。
 それは局員たちの慌ただしさでかき消されてしまいそうなほど僅かな音だった。しかし、相棒であるリディアーヌは気づいていた。サトラの拳が力み、震えるのを。チラリとだが、確実に目にしていた。

「……ジゼルちん。あいつら何者なの? 人身売買まで手を出してるっていうんなら、もうただのチンピラってわけじゃないでしょ」

 無言のサトラと冷静なように見えて冷静ではない曉梅に代わり、リディアーヌが話を進める。普段はおちゃらけてばかりだが、リディアーヌは魔女チーム最年長の十九歳。ただのムードメーカーではなく、長女役でもあった。

「あくまで憶測だが、奴らは資金を集めるための組織だった可能性がある」
「何かの下っ端ってこと?」
「ああ。既に金の流れを局員に調べさせている」

 逃走した被疑者グループの捜索中に人員を別のことに割く。手が余っているわけではなく、むしろ猫の手でも借りたい状況なのでリスクは大きかったが、流れを調査することで、思わぬ大物に辿り着く可能性もある。そのリターンは目先のリスクより遙かに大きい。
 後のことを考えての判断と言ってしまえば簡単だが、それは局員たちの捜査能力がなければ皮算用。鉄の女と呼ばれるジゼルの信頼の表れだとも言えた。
 
「……最初から屋敷ごとを吹っ飛ばすつもりだったのかな?」
「そうだ。恐らくずっと前から、下手したら何ヶ月も前から準備を進めていたはずだ」
「つまり、全部相手の計算通りだったってわけ?……なるほどねー」
「その通りだ。誰かが赤子の声に気を取られることも、爆発の隙に逃走することも……全てだ」

 爆弾が炸裂するまでの時間稼ぎとして攫われてきた赤子。
 まんまと引っかかったサトラ。
 全て相手の手のひらの上だったとジゼルに言われ、サトラの脳裏にデリツィアの笑みが浮かんだ。あの嫌らしい笑みは自分を小馬鹿にしていたのだと悟る。静かに歯を食いしばって、悔しさをにじませた。

「さぞ高い首なんでしょうね。赤ちゃんを犠牲にしたほどですから」
「多分、リディたちに向かってきた人たちも聞かされてなかったんじゃないかな。敵を騙すには味方からってやつ?」
「……おめでたい人たちですね」

 皮肉を口にする曉梅の目には哀れな赤子の境遇や犠牲になっていたものたちへの涙が溜まり、煌めく。リディアーヌも何か思うことがあるのか、表情は強張り、僅かにも白い歯は見えない。
 押し黙るサトラたち。フロアにはどこまでも喧噪が広がっているというのに、その一角だけは静まり返っていた。

「……だが、一つだけ計算になかったことがある」

 そう言って、ジゼルは俯きがちなサトラのことを見た。

「それは赤子に釣られ、罠にはまったはずのお前が、こうして健在であることだ。サトラ」

 爆発に巻き込まれ、逃走を許す。
 ここまでは完敗。
 だが、サトラはまだ生きている。負傷しているものの、戦闘に大きな影響はない。
 つまり、まだ雪辱することが出来る。挽回することが出来る。
 頭にこびりついて離れないあの憎らしいデリツィアの笑みを、消し去るチャンスはまだあるのだ。
 その事実がサトラの心を奮い立たせ、喜びと更なる憎しみを生み出してくれた。

「……魔女は俺がやる……!」

 右の拳を強く強く握りしめる。指が手のひらを貫通しかねないほど握りしめられた拳。決意の現れ。

 ――絶対にあいつは俺がぶっ飛ばす!

 そこにRAIDの仇という余計な考えはなく。あるのは、やられたからやり返す、こけにされたままではいられないという、単純で純粋な憤り。だからこそ怒りの炎は、不純物がない分、際限なく燃え上がる。
 一度見たら最後。目を背けることが困難なほどの闘志。力が入りすぎではないかと心配する曉梅と、敵意をむき出しにする相棒に何かを思うリディアーヌ。

「いつでも出撃出来るように準備しておけ。私からの話は以上だ」

 ジゼルはサトラの阿修羅のような表情を一瞥すると、何一つ変わらない冷めた態度で、今も捜査を進める局員たちの方へ行ってしまった。
 結局ジゼルからは慰めの言葉も叱責の言葉もなかった。終始感情は見せず、事務的で、ある種の冷酷さすら感じられた。
 しかし、サトラにとってはそれでよかった。それで十分に伝わった。
 魔女はお前が打ち倒せ。
 淡々としたジゼルの態度がそう言っているようにサトラには感じられた。

 ――わかってるさ……!

 言われなくてもわかっている。あの魔女をどうにかするのは生き残った自分のやることだ。腹が立って仕方ないくらい理解している。
 だからジゼルは言わなかった。借りを返さなければ気が済まないという、サトラの性格をよく理解しているからこそ、焚きつけるような真似はしなかったのだ。

「サトラさん……」

 曉梅が去って行ったジゼルの背と、今にも飛び出していきそうなサトラを交互に見やる。曉梅の年齢相応に幼い目は年上であるサトラの身を案じていた。
 
「大丈夫だって曉ちん。サトちんはああ見えて冷静だから、ね? もうドライアイスって感じ!」

 そんないじらしい姿を見せる曉梅と視線を合わせるようにしゃがみ込む。リディアーヌは安心させるように曉梅の頭を撫でてやった。
「……そう。ヘタしたら火傷しちゃうくらいね」

 チラリとサトラの顔を流し見る。静かな炎に身を焦がすサトラの目は、モニターに映された坊主頭の女のことを捕らえて放さなかった。

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